「子どもが偉くなっても、親は寂しい」施設長が見た頑固な老人の空白
1人暮らしというが、身寄りもなかったのだろうか。
「お子様はいらっしゃるんですよ。息子さんはお2人とも東京にいらっしゃって、名前を聞けば誰でも知っているような大企業の役員です。小さい頃から優秀で、東京で成功した方ということで、このあたりでは有名人なんですよ」
そんな立派な息子たちがいて、なぜ父親がそういう状態になるまで放っていたのだろうか。
「お子さん方も、宇都宮さんの頑固さには手を焼いてらっしゃったようですね。忙しい中、都合をつけて実家に帰っても、『さっさと帰れ!』と怒鳴られてしまうとおっしゃっていました。自分たちの手には負えない、と行き来もほとんどなくなっていたようです。宇都宮さんも、小さい頃は優秀なお子さんで誇らしかったでしょうね。でも子どもが優秀なのも、地方に住む親としてはどれほど幸せなんだろうと思うことがよくあります。結局親元を離れてしまって、めったに会うこともできなくなるんですから」
田辺さんの言葉を聞いて、野口英世の母・シカを思い出した。シカにとっては自慢の息子だっただろうが、寂しさも背中合わせだ。英世にあてた手紙は有名だ。
“わたしも。こころぼそくありまする。ドかはやく。きてくだされ。…はやくきてくだされ。はやくきてくだされ。…いしょのたのみて。ありまする。にしさむいてわ。おかみ。ひかしさむいてはおかみ。しております…”
若い頃は、母の愛に感動した。しかしだんだん、シカという母の存在が重くなった。そして今はシカの寂しさがよくわかる。宇都宮さんは、寂しさを怒りという形でしか表せなかったのかもしれない。
宇都宮さんは、少しずつ職員とも会話するようになっているという。今でも些細なことで怒鳴りだし、「家に帰る!」と帰り仕度を始める宇都宮さんを、田辺さんは止めない。
「宇都宮さんの気が済むように、家まで一緒についていきます。家を見ると落ち着かれて、また素直にホームに戻られます。宇都宮さんにとって、怒鳴るのは『家族に会いたい』、『家に帰る』は『奥さんや子どもがいた頃に戻りたい』という意味なのではないかなと思います。そういう形で、私たちに甘えていらっしゃるんでしょう。いくらでも甘えていいよ、って言ってあげたい。やっぱり介護は天職だったなと思います」
田辺さんに見守られながら晩年を過ごせる宇都宮さんは幸せだ。シカの晩年は幸せだったんだろうかと、ふと思った。