「とことん身勝手な義姉」姑の介護を通して憤る長男の嫁
■「最後に旅行をさせてあげたい」つらそうな義母を連れ出した義姉
今度は義母が、入退院を繰り返すようになった。抗がん剤の影響もあり、体調のすぐれない義母のために、川畑さんは毎日義母の家に通って家事をした。義姉は、さすがにお気楽に遊びに来ることはなくなったという。だが、看病にも来なかった。
「お義母さんがかわいそうでしたよ。あんなにいろいろやってあげた挙げ句に、一番大変な時には知らんふりですからね。私も腹は立ったけど、わがままな義姉だから下手に来られてもやりにくい。いっそ顔を出さないなら、その方がいいと割り切っていたんです」
義母の病状はさらに進んだ。
「通っていた病院からは、もうこれ以上治療法はないからと、在宅での看取りをほのめかされました。訪問看護師と往診を利用して、最期は家でという人が今は増えているということだったので、不安ながらも受け入れたんです。『好きなことをさせてあげてください』とお医者さんに言われたんですが、それを主人から聞いた義姉は『最期に好きな旅行をさせてあげたい』って、動くのもつらそうな義母を車に乗せて1泊旅行に連れてったんですよ。義姉なりの親孝行だったのでしょうが、義姉の自己満足にしか見えませんでした」
最期の1カ月ほどは、川畑さんと夫が毎晩交代で泊まり込んだ。
「今は病院ではなく、自宅で死ぬのが理想だと言われてますよね。私もそう思っていましたが、本当にあれでよかったのかと今も思います。家で看取るって簡単に言うけど、家族は素人ですからね。床ずれができたり、痛みがあったり……トラブルがあるたびにおろおろするばかり。夜も眠れなくて、最期はヘトヘト。でも義母が一番かわいそうだったと思います。最期に言いたいこともあったでしょうが……私たちは看病でいっぱいいっぱいで、ゆっくり義母と話すなんて、とてもできませんでした。これが病院だったら、家族はもう少し余裕を持って義母と最期の時間を持てたんじゃないかと思うんですよね」
旅行以来姿を見せなかった義姉は、義母が危篤になってようやくやって来たという。
「やって来たとたん、仕切りだしました。義母が亡くなると、さも自分がすべてやったかのように親戚に連絡して。さすがに主人もムッとしてましたけど、この場で揉めてもしょうがないと。とことん身勝手な人でしたね」
そして、義姉は葬儀後も頻繁に実家にやって来た。
「めぼしいものを片っ端から持ち帰っていたんですよ。調味料から植木まで……。といっても義父母のこまごましたものが残っていたので、一周忌が済んだ頃そろそろ片づけようと思って、義姉に処分していいかどうか聞いたんですよ。すると『思い出があるから捨てちゃダメ!』って怒られました」
しかし義姉は、その後、実家にはまったく寄りつかなくなった。つい夫に愚痴った川畑さんに、夫は言ったという。
「もう持って帰る物がなくなったんだろうな」
いや。実家の名義はまだ義父のままだ。一番大きなものは、まだ残っている。