「母親は自宅でみてやりたい」親族4人の介護のため辞職した長男の3年後
認知症の女性が、相談をしていた弁護士に遺産5億を贈与するとした遺言書は無効だとして、女性の姪が起こした訴訟の判決が出た。「赤の他人の弁護士に全遺産を遺贈するのは奇異だ」と、遺言は無効とした。誰がどう考えても、そうだろう。百歩譲って、たとえ本心からその女性がその弁護士に5億を贈与すると言ったとしても、それを「はい、そうですか」と貰っていいわけがない。弁護士なんだから。しかもその弁護士、82歳……もしかして、倫理観どころか認知能力もかなり落ちている? 「定年のない職業は、自分で引き際を考えないといけない」と別の弁護士は自戒していたが、まったく同感。引き際の見極めは難しい。政治家もだ。
<登場人物プロフィール>
小平 覚(58) 専業農家。北陸で妻と息子と暮らす
小平 静江(57) 覚の妻
西浦 和子(60) 覚の三番目の姉
■両親、伯母、叔父を介護するために仕事を辞めてしまった
小平覚さんには3人の姉がいる。今回は三女である姉・西浦さんから話を聞いた。
姉が3人もいると、長男とはいえ介護の負担はかなり軽減されるのではないだろうか。西浦さんをはじめ、3人の姉たちはみな実家からそう遠くない市内に住んでいる。
「それが、私たちもみんな義父母と同居してるんですよ。介護真っ只中の姉もいるので、実の親とはいえ、そうたびたび実家に通えるわけではないんです」
昔ながらの「家」の考え方の残る覚さんの町では、親の介護をするのは、同居する長男家族の務めという暗黙の了解があるという。ましてや小平家は代々続く専業農家。女3人の後に生まれた待望の後継ぎである覚さんにとっては、息苦しい環境だったようだ。大学を卒業した覚さんは、逃げ出すように関西の企業に就職したものの、数年で帰郷した。
「覚は、よくいえば優しい子なんですが、気弱。都会での生活は向いていなかったんだと思います」
覚さんは、地元の小さな会社に再就職。30歳を過ぎて、親戚が持ってきたお見合いで静江さんと結婚し、親とも同居した。
「実は実家には、父の姉もいたんです。病弱だったので、ずっと独身で。おまけに父の弟も独身で、実家から車で30分ほどの場所に1人で暮らしていました。小姑、小舅がいるのを承知でお嫁に来てくれた静江さんには感謝しています」
覚さん夫婦は共働き。覚さんは週末に農業を手伝うこともあったが、両親が2人で農業を続けていた。その後一人息子にも恵まれた。
「後継ぎとなる孫もできて、両親も安心だったと思います。甥も、『大きくなったら農家になる』なんて言って両親を喜ばせていました」
夫婦と子ども1人に対して、70歳以上が4人(!)。近い将来の日本を暗示するような家族構成は、なにかが揺らぐと、将棋崩しのように簡単に崩れてしまう。両親や伯母、叔父の老いは一気にやってきた。
「昔ながらの百姓だから、身体を酷使していたんでしょうね。75歳を過ぎると、両親の足腰はあっという間に弱くなりました。生きがいでもあった農業ができなくなった父は、物忘れもひどくなった。伯母にも認知症の症状が出てきて、どうしようと言っているうちに、今度は叔父も体調を崩して入院してしまって」
覚さんは、伯母と叔父の施設探しに奔走した。ようやく見つかった施設に2人を送り込むと、今度は叔父のアパートの片づけに追われた。ほとんど歩けなくなっていた父親も、幸い近くにいい施設が見つかり、入所させることができた。しかしホッとする間もなく、今度は母親が認知症と診断された。
姉たちにも助けを求めず、1人で頑張っていた覚さんだったが、ある日突然会社を辞めてしまう。姉たちには「これを機会に農業を継ぐ」と言ったという。
「母に溺愛されていた覚は、『せめて母親は自宅でみてやりたい。農業なら母の近くにいてやれる』と言っていましたが、農業を甘く見ていたんでしょうね」
確かに農業はある程度時間の融通はきく。とはいえ、介護の片手間にできる仕事ではなかった。
「理想の農業を作るとか言って、親戚の休耕田にまで手を広げた挙げ句、どれも失敗。放置して荒れていく田んぼや山を見た親戚から文句を言われるし、私たちも心配していたんですが……」