すべての夫婦は“特殊”、「こうあるべき」を無視していい
――新刊『自分を愛する力』(講談社現代新書)には、妊娠中に奥さんが「私、この子のこと、愛せるかな……」とこぼしたというエピソードが掲載されています。乙武さんはうろたえるどころか「だいじょうぶだよ。そのぶん、オレが二倍愛してやるんだから」という言葉をかけていますね。
乙武洋匡氏(以下、乙武) ……カッコイイこと言いますね(笑)。僕は、人間の感情は縛れないと思っています。その感情が道徳に沿ったものであるかないかにかかわらず、そう思ってしまうのは仕方ないし、そこで彼女を責めても何も状況は好転せずに苦しめるだけ。だったら彼女がそう思っていることを前提に、どうしたらいいか考えるしかない。
――誕生後は、奥さんはお子さんに愛情を注いでいますが、今度は乙武さんがおむつを替えることも扇風機に手を入れそうになった子どもを助けてあげることもできず、「僕に手があったなら――。僕がフツーの父親だったなら――」と泣いたと書かれています。
乙武 『五体不満足』(講談社)を読んでくださった方から、「乙武さんだって本当は手足がないことで、つらいことがあったでしょう。でもあえてそういうエピソードは書かなかったんでしょう?」と言われることがあるんですが、本当になかったんです。そういった意味では、子どもが生まれたことで初めて「この体がしんどいな」と思いました。
――多くの女性が「愛するものを守りたい」という気持ちが強いがゆえに、「もっと自分がちゃんとした母親であれば……」と自分を責める気持ちは起こりがちです。それに似ている気がしました。
乙武 僕の場合、それが精神的な面ではなく、物理的な面だったので、気持ちを切り替えやすかったのかもしれない。どんなに努力しても、子どもを愛しても、僕に手足が生えてくるわけではない。だったら、そこは割り切って、違うことでカバーしていくしかないと思いました。
――子育てについては妻主導型で、夫はほとんど参加しないという家庭もあります。
乙武 うちの場合は、妻がちゃんと子どもの状況を逐一伝えてくれて、子どもに対する知識が共有できているので、僕も意見することができます。奥さんが報告を怠ると、旦那さんは子どもの知識がないから何も言えない。旦那さんが子どもと接する時間は限られていても、夫婦が子どもの状況を共有していれば、子育てについて意見を交わすことはできるのでは。
――そのことを忘れて「言わなくてもわかってよ」と思ってしまう女性も多いようです。
乙武 以前、「朝早くから息子のお弁当を作ってくれている妻に、ねぎらいの言葉をかけてこよう」とツイートしたところ、女性から「私は、ねぎらいの言葉をかけてもらったことがない」「私だってがんばっているのに」といったメンションが殺到したことがありました。そこで僕は、「『私は夫からねぎらいの言葉なんて、かけてもらったことがない』という女性のみなさん、あなたはご主人に感謝の気持ちを伝えていますか?」とツイートしたところ、「あっ……」という返答が多くありました。女性は求める傾向にありますよね。どちらが先に相手をいたわってもいいと思うんですけど、そこにこだわる人が多いのかな。