山崎弘也、ファンに「アンタッチャブル」とサイン、コンビでの活動再開は間近!?
2004年の『M‐1グランプリ』で優勝するなど、実力派お笑いコンビとして人気の高いアンタッチャブル。現在、山崎弘也と柴田英嗣は別々で活動しているが、最近山崎が“コンビ復帰”に向けてシグナルを出し始めた。
11日、都内のキャバレーで、宣伝部長を務めるムック本『東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン』(講談社)シリーズのイベントに出席した山崎。マスコミに、柴田と連絡を取り合っていることや、コンビでの活動再開に「もちろん、頑張りますよ」と意欲をみせるコメントを残した。
そもそも、M‐1チャンピオンであるアンタッチャブルが、なぜバラバラで活動をすることになってしまったのか。話は、3年前までさかのぼる。
「10年1月、柴田が芸能活動を無期限休養すると発表し、山崎はピンで活動することになりました。柴田の休養の理由は諸説ありますが、最も有力なのは、女性関係でトラブルを起こしたというもの。すでに売れっ子になっていた彼らが、これ以上ほかの芸人に迷惑がかからないように、所属事務所が強制的に休業させたと聞いています」(ベテラン放送作家)
柴田は1年後、ひっそりと芸能活動を再開させたが、相方・山崎との格差は凄まじいものがあった。『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)や『アメトーーク!』(同)などで見せるハイテンションなボケで、山崎の人気は急上昇していた。「最初は柴田の分もカバーすべく頑張っていたが、それが良くも悪くも山崎のお笑い芸人としての実力を上げた」(お笑い業界関係者)ともいう。
結果的に、山崎の芸人としてのランクはコンビ活動時よりも上がったそうだ。
「そこに、女癖が悪い問題児の柴田が意気揚々と戻って来られては、元も子もない。山崎も事務所と相談の上、当面はコンビ活動をやるつもりはなかった」(別のお笑い業界関係者)
だが、今年に入ってから、山崎が水面下でコンビでの活動再開に動き始めていたのだ。
「出待ちしていたファンにサインをする際、今まで山崎は自分の名前だけ書いていたんですが、今年に入ってから、『アンタッチャブル山崎弘也』とコンビ名も書くようになったんです。コンビでの活動再開は、まずは山崎が納得した上で行われるもの。山崎がイベントでそれを示唆したということは、コンビでテレビ出演する日は間違いなく近づいていると思いますよ」(同)
結成20年を目前に解散したオセロとは対照的に、アンタッチャブルの絆は深かった――ということなのだろうか。