「結婚したい女は“イタい”のか?」を問う、綿矢りさ『しょうがの味は熱い』
2人の平穏で平凡な同棲生活は、奈世のとある行動を契機として、一気に崩壊していくことになります。「結婚」という妄執に憑りつかれた奈世は、何の前触れもなく、ショートケーキと菫の花束と、両名の名前を記入した婚姻届をテーブルに用意して、仕事で疲れて帰ってきた絃を迎えます。当然、結婚なんて考えてもいなかった(考えないようにしていた)絃は逃げ腰になります。それなのに、「考えさせてほしい」という絃を、「話し合いをしましょう」という言葉でさらに追い詰めていく奈世。話し合いはいつまでも平行線を辿り、奈世は絃に何も告げずに、荷物をまとめて田舎の実家に帰ることに……。
婚姻届の場面を「笑いどころ」と受け取ったり、奈世を「重い女」「イタい女」と一蹴することもできるでしょう。一般的に、女が男に結婚を迫る行為は痛々しいものと受け取られがちだからです。しかし本当に、奈世というキャラクターの滑稽さや愚かさを、笑い飛ばすだけでよいのでしょうか。
奈世は、何の才能も、一生をかけられる仕事も、没頭できる趣味も、何も持っていません。そんなところもまた批判を浴びてしまうかもしれませんが、「絃と出会うまえは、自分にはなにかに夢中になれる素質があると分かっていたのに、情熱を注げるものを見つけられなくて、心の大部分はからっぽだった。絃を見つけて全て満たされた、と思っていた」と語る彼女には、本当に、絃しかいないのです。
職探しに真剣になれないのも、決して、絃に養ってもらえばいいと思っているからではありません。絃の人生に自分の人生を重ねて、「自分は忙しい彼の仕事に合わせよう」と彼女なりに真剣に考えています。そして、その「真剣さ」が仇となり、2人の歯車が少しずつ狂ってしまいました。
奈世の生き方を否定する絃自身も、今の仕事が本当に自分のやりたかったことなのかという思いをいつまでも抱えており、彼もまた奈世と同じように「何者にもなれなかった」存在であることがうかがえます。絃は、夕食が和食の時も1人でパンを食べたり、住環境を病的なまでにきちんと整えたりと、奈世との生活の中で自らのこだわりを押し通すことで、彼自身のプライドを必死に保っているようにも見えます。
自分の現状を受け入れられずに結婚を先延ばしにする絃の価値観と、結婚を当然視する田舎の両親の価値観で板挟みになり、奈世は孤独のうちにもがき苦しみます。しかし奈世は、例えば愛の結晶としての子どもやマイホーム、裕福な暮らしや老後の安定などといった「結婚に付随する何か」を求めていたわけでは決してありません。自分の居場所がほしくて、他者に必要とされているという確信がほしくて、それらを得る手段が「結婚」にしか見いだせなかった、ただそれだけのように思えます。
「結婚なんてただの『制度』だ」、と言ってしまえばそれまでです。しかし、法に守られた制度であるからこそ、強固なその檻は、内側にいる者を包みこむ安心感と、周囲に対しての絶大な影響力を持っています。自分の存在意義を見失った時、その制度に守られたいと願わずにはいられない――。そんな切実さを感じてしまうからこそ、どんなに突き放されても「結婚」という未来をあきらめず、婚姻届に両者の名を書かずにいられなかった奈世の姿に、滑稽さや愚かさだけでなくどこかシンパシーを感じてしまうのかもしれません。
(早乙女ぐりこ)