「がんばっていると母に認めてほしいのかも」認知症の母を介護する娘の痛み
イギリスのマーガレット・サッチャー元首相が亡くなった。映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』では鉄の女の老後も描かれていた。尊厳を保った生活ながら認知症らしい症状も見られ、どんな人にも平等に訪れる老いというものの冷酷さを見た気がした。サッチャー元首相は1979年から11年もの間首相を務めたが、同時期に新自由主義政策を共に取ったのがアメリカのロナルド・レーガン元大統領。彼もまたアルツハイマー病を患い、すでに亡い。そしてロンといえばヤス。中曽根康弘元首相はといえば、齢94歳にしていまだかくしゃくとして頭脳明晰! 長寿社会日本の真髄を見るようで、なんだか誇らしい。ま、老化も寿命も個人差。運にすぎないんだろうけど。
<登場人物プロフィール>
関口 美保子(46) 夫、子ども2人と神奈川で暮らす。パート勤務
入江 コト子(75) 美保子の実母。北海道在住。認知症と診断されて5年
入江 靖男(79) 美保子の実父。元食品会社勤務。コト子を1人で介護している
■「これまでの罪滅ぼし」と真面目に介護に取り組む父
関口さんの実家は北海道だ。大学進学で北海道を離れてもう30年近くになる。それ以来、帰省するのは年に1回程度。家族全員で帰ると飛行機代だけで10万円は下らないので、2人で暮らしている両親のことを気にしながらも、そうたびたび帰るわけにはいかなかった。そんな生活が一変したのは、母親が認知症と診断されてからだ。
「料理の味付けがおかしかったり、同じものを大量に買ってきたりするなど、母の様子がおかしいと父から聞いてはいたのですが、私と話すとおかしなところはないんです。受け答えもまともだし、身の回りのことも自分でできる。だから、父の言うことが半信半疑だったのですが……」
単なる物忘れにしてはあまりにおかしいと、父親は嫌がる母をなんとか病院に連れていった。診断結果は、認知症だった。
「まさか自分の母親が認知症になるなんて、とショックも大きかったですが、これからどうしたらいいんだろうと、途方に暮れる思いでした」
関口さんの夫は忙しく、帰りも遅い。子どもも受験期で、関口さんが頻繁に家を空けられる状態ではなかった。
「私には兄弟もいないんです。実は2歳上の兄がいたんですが、私が就職した頃、交通事故で亡くなってしまったんです。子どもの頃から、優等生だし、家族思い。両親にとっても自慢の兄でした」
仕事人間だった父親は、兄の死を忘れるかのように一層仕事に没頭したという。定年退職した後も嘱託として会社に残ってサラリーマン生活を続けた。そして、表面的に両親もようやく2人の生活に慣れたように見えた頃の、母親の認知症発症だった。
「父は、母親の病気は自分のせいだと責任を感じたようです。兄を亡くした母の悲しみに寄り添うこともしないで仕事に逃げていた、と言っていました」
それからというもの、父親は関口さんから見ても驚くほど献身的に母親の介護に打ち込むようになった。いや、介護も父親にとっては新しい仕事のようなものだったのかもしれない
「料理も、レシピの分量や加熱時間などを忠実に守っていました。化学実験のようでおもしろいみたいです(笑)。父は理系の技術者だったので、真面目で几帳面なんです。もう少し適当にやってもいいんじゃない? と言っても、『これまでずっとお母さんに家のことを任せっきりにしていたから、せめてもの罪滅ぼしだよ』って」
■母にとっての子どもは、亡くなった兄だけ
家事も介護もきちんとこなせる父親に安心していた関口さんだったが、2年前に帰省すると、両親の様子が決して楽観できる状態ではないことに気づいた。
「母親の症状がかなり進んでいて、トイレの失敗や、夜中の徘徊などがひどくなっていたんです。日中はデイサービスも利用するようにしていますが、それ以外は相変わらず父1人で一生懸命にやっていて、疲れが溜まっているようでした。夜なんか、母がいつ外に出て行くかわからないので、母と自分の手に紐を結び付けて寝てるんですよ。80近くなった父に1人で介護をさせるのはもう限界だと思いました」
関口さんも子どもの受験が一段落していたので、それからは毎月1週間ほど、実家に帰省するようにした。
「これまで何もしてあげられなかったので、せめて私が帰っている間だけでも、父親をゆっくり寝かせてあげたいなと。それにあんまり大きな声では言えないんですけど、父から交通費という名目でそれ以上の金額をもらってるので、そんなに偉そうなことは言えませんね」
明るく言う関口さんだが、遠距離介護を続けるのは体力的にもかなり大変なはずだ。
「確かに遠距離介護は身体はきついですけど、精神的には楽なんですよ。こないだなんて、外に行こうとすると靴がないの。さすがに母もおかしいと思うらしくて、2人で家中探すでしょ。すると、米櫃の中から出てきたりする。これが2人きりで24時間介護していたら、母を怒ってしまうでしょうね。でもたまにしかやらないから笑える」
帰省している間、関口さんは父親に代わって母と自分の手を紐で結んで寝るのだそうだ。しかし、楽天家と自称する関口さんらしく、寝込んでしまうと目が覚めないのだという。
「だから、玄関で寝ることにしたんですよ。ちょっとのことじゃ、私も起きないから。そうしたら、母親は、寝ている私を踏んづけて外に出てました(笑)」
関口さんも疲れが溜まっているのだろう。笑い話にできる関口さんは立派だ。
「でもね、母は私のことをわかっていないの。『おたくは、誰ですか?』って言われるのはもう慣れましたが、『コト子さんの娘よ』と言うと『私には娘はおりません。息子しかおりません』って言う。母にとって、子どもは亡くなった兄だけなんだなぁって、ちょっと胸が痛いです。先日は兄の誕生日だったんですが、ちゃんと覚えてるんですよ。『お寿司をとってお祝いしないと』と母が言うので、3人でお祝いしました。私の誕生日なんてスルーしてるのにね。ま、今更親に誕生日を祝ってもらいたいわけでもないからいいんですけどね」
母親の悲しみも、関口さんの寂しさも、よくわかる気がする。男兄弟のいる娘、とはそんなものだ。
「私も真面目な父親似だから、がんばっていると母に認めてほしいのかな。『美保子、ありがとう』『美保子、おめでとう』ってね。46にもなって、いつまでも子どもですよね」
そう言うとすぐに関口さんは明るい表情に戻って、笑った。