遺族には上映会の案内のみ? 『ゼロ・ダーク・サーティ』が911被害者の声を無断使用
オサマ・ビンラディン殺害作戦決行の時間である「深夜0時半」を指す米軍事用語をタイトルとした映画『ゼロ・ダーク・サーティ』。物語は、この作戦に自分の持つ能力のすべてを捧げたCIA女性分析官の活躍を中心に描かれており、その完成度の高さは辛口の批評家たちをも唸らせている。アカデミー監督キャスリン・ビグローが手がけたこともあり、昨年12月19日の公開以来、9,000万ドル(約83億円)を超える興行収入を上げる大ヒット作となっているのだが、オバマ大統領から機密情報を見せてもらったのではないか、という疑惑や、CIAによる拷問のシーンが誤解を与えるなど、これまでいくつかの論争が巻き起こってきた。
5部門にノミネートされ、1部門を獲得した第70回アカデミー賞授賞式から明けた2月25日、『ゼロ・ダーク・サーティ』はさらなる非難に見舞われた。911犠牲者の遺族がメディアに登場し、「息子が実家の留守番電話に残した最期のメッセージを無断で使用された」と怒りをぶちまけたのだ。
作品の冒頭では、真っ暗な画面の中、911犠牲者たちが最期に残した肉声が流れ、悲しみやビンラディンへの怒りを煽るものとなっている。しかし、24歳の息子を911で失ったフェチェット夫妻にとって、息子の最期の言葉を無断で使用されることは、「苦しくつらい気持ちを蒸し返させる」拷問のようなことだと、訴えている。
フェチェット夫妻の最愛の息子ブラッドは、ワールド・トレード・センターのタワー2、89階にあった投資銀行キーフ・ブリュイエット・アンド・ウッズに勤めていた。タワー2には、78~84階部分にユナイテッド航空175便が直撃し、崩壊している。子どもの頃から、自分のことよりも周りの人たちのことを気にかける性格だったというブラッドは、惨事の最中、実家に電話をかけた。そして、留守番電話に、「やぁ、母さん。ワールド・トレード・センターに飛行機が直撃したってニュース、もう知ってると思うけど。ボクはこうして生きてるし、大丈夫だからね。もちろん、すごく怖いけどさ」「91階から真っ逆さまに飛び降りる人を見てしまったよ。いつ電話してくれても大丈夫だからね。愛してるよ」という言葉を残したのだった。
CBSの取材に対して、フェチェット夫人は、「帰宅した時、ブラッドが留守番電話にメッセージを残したことに気がつきました。それ以降、彼からの連絡はありません。留守電のメッセージは、息子からの最期の言葉となったのです」「愛する人を、このようなひどい形で失い、私たちは今も苦しみの中で生きています。息子からの最期の留守電は貴重な思い出、貴重なメッセージ。私たち遺族だけの宝物なんです」と述べ、『ゼロ・ダーク・サーティ』は、その貴重なメッセージを無断で勝手に映画に使ったと憤りをみせた。
夫人は、映画に息子の最期の言葉が使われていることを知り、「(犠牲者に対する)尊重の気持ちなんてまるでない」と感じたとのこと。なお、ブラッドが残したこの最期のメッセージは、911アメリカ同時多発テロ報告書やテレビニュースなどで使われているが、「今回はわけが違う」と主張しており、映画の注目度や話題性を上げるために息子が家族に残してくれた最期の言葉を使われるのには抵抗がある、と説明した。
夫妻は息子の名前をいつまでも残しておきたい、24年という短い生涯を終えた息子のことを忘れてもらいたくないと、息子の名前をつけた“奨学金”基金を立ち上げ、勉強をしたい恵まれない子どもたちのために奔走してきた。この活動を通して、夫婦は息子を失った苦しみが癒やされてきたとしている。しかし、夫婦にとって息子の死は決して乗り越えることができないものであり、そんな息子の最期の言葉を、商業目的で、しかも無断で使われることは、到底許せないようだ。
実は、フェチェット夫妻のほかにも、『ゼロ・ダーク・サーティ』に無断で最期の声を使われたと怒りをあらわにしている遺族がいる。アメリカン航空11便のキャビンアテンダントで、ワールド・トレード・センターに直撃する直前まで会社のオペレーション・センターと交信していたベティ・アン・オングの遺族だ。ベティの緊迫した生々しい言葉を無断で映画に使われたことについて、遺族は「悪用されたと感じる」と述べており、「公式な謝罪をしてもらいたい」「ベティの名で立ち上げたチャリティー団体へ寄付をしてほしい」「配給元のソニー・ピクチャーズエンタテイメントの公式サイト、および、作中で、“ベティの遺族は、いかなる場合でも拷問することには賛成ではない”という言葉を載せてほしい」と求めている。
ソニーと制作会社のアンナプルナ・ピクチャーズは、「『ゼロ・ダーク・サーティ』は911被害者に捧げた作品である」との声明を発表。「映画が公開される前に、911犠牲者の遺族、多数に連絡を取った」と説明している。しかし、フェチェット氏は、「“遺族に連絡を取った”って……映画が完成した後に、“上映会を見に来ませんか”と連絡しただけじゃないか」とため息をついており、納得がいかない様子だ。
政治的な問題も多いとされる『ゼロ・ダーク・サーティ』だが、映画としては素晴らしいという声が多いだけに、911遺族の気持ちに配慮できなかったことは残念でならない。アメリカ人にとって911は愛国心を増大させた事件でもあったため、今後、どのような対応が取られるのか、全米が注目している。