発端は教授のセックステープ――京女たちのセックスの表裏を描いた『女の庭』
■今回の官能小説
『女の庭』(花房観音、幻冬舎)
女の欲望は、男の欲望とはまったく違うものである。セックスの時、男が女に欲しているものは快楽のみ。その裏に潜むものなど目もくれずに、ただひたすら無邪気に天国だけを目指す。けれど女はそこまで快楽に対して能天気ではいられない。「恋愛とセックスは天国と地獄が表裏一体」だと、女は知っているのだ。
街全体を高い山々に囲まれた、箱庭のような古都・京都。今回ご紹介する『女の庭』(幻冬舎)は、外敵から守られ、ひっそりと独自の時間軸を持ちつづける京都に住む5人の女たちの物語だ。
大学時代の恩師の葬儀で大学卒業以来の再会を果たした、34歳の5人の女。亡くなった恩師・深見教授のゼミ生だった5人は、その恩師の名を聞くと真っ先に思い出す出来事があった。
卒業間近の自由参加の授業の日。電車遅延のため遅れていた深見教授を待つ間、ゼミ長である里香は、深見教授から預かったビデオテープを流した。討論するための、社会学者のインタビュー映像のはずだったのだが――。画面に映し出されたのは、画面いっぱいの赤黒い肉体の一部。聞き慣れた深見教授の声が響き、女の体に彼が飲み込まれていくという生々しい映像だった。映像はすぐにストップされた。しかし、その日以来深見教授は一度も教壇に立つことはなく、ゼミ生だった彼女らも卒業することになった。
「あの映像の、深見教授の相手をしていた女性は誰だったのか?」——喉元に引っかかる疑問を抱えながら、5人の女たちは京都に生きる。
高校時代に教師と不倫関係にあった絵奈子を、誰もがその「女」ではないかと疑っていた。男と寝ることが好きな絵奈子。心などいらない。身体だけが欲しい。貪るように複数の男たちと逢瀬を繰り返す絵奈子の心の裏側には、今は亡き兄の姿がある。
5人の中で唯一の専業主婦である里香は、京都の老舗呉服屋の娘。何不自由なく育てられ、年若に結婚・子どもももうけ、体型もすっかり「母」となった。誰にも言えない秘密の場所を持つ――インターネット上で、「女」を演じ、男から欲望の眼差しを向けられることで、心の均衡を保っている。
モデル並みの美貌を持ち、ルックスに自信のあった愛美は、派遣社員として働いている。かつては京大大学院卒の恋人に愛され、順風満帆な将来を約束されていた愛美。しかし、1人の傲慢な男との出会い、そして強烈なセックスが愛美の人生を狂わせてしまった。恋人とも別れ、婚期を逃し、仕事も失い愛美は追い詰められていく。
地味でおとなしい性格だった唯は、夫と小さなカフェを営んでいる。2人は同僚同士だったが、その出会いは電車の中——夫が仕掛けてきた、痴漢行為だった。唯と夫は互いの“性”の一致で、結婚を交わしている。
学生時代に憧れを抱いていた深見教授が、件のビデオの中で「次は、井野翠とやりたいな」と言っているのを聞き、トラウマを抱えてしまった翠。男にセックスの対象として見られることは苦手だが、人の肌は恋しい。ゲイの友人の体を舐め尽くすという一方的な行為に没頭している。
そんな5人の女たちに共通するのは、女という「性」に翻弄されながらも、「気持ちよさ」を求めて彷徨っていることだ。まるで、痛みをも快楽に感じているのではないかと錯覚させるほどに。彼女たちを見ていると、誰もが心に秘めている、「細い傷口」に薬を落としたような鋭い激痛が伴わないと、女の官能は成立しないのではないかという気になってくる。
さらに、セックスだけでなく、女の幸せも表面だけでは語れないのだろう。物語の中には、頻繁に「いけず」という言葉(表面は笑顔でも腹は黒いの意)が出てくる。その言葉のように、彼女たちは、常に内面に存在する痛みや苦しみといった黒いものをひた隠しにしながら、幸せを求め、演じながら生きているのだ。「何度私は、ここで京都のお嬢さんを演じただろう」という愛美の言葉や、「私は京都が好き。京都みたいになりたい」という唯の言葉に、京都という土地とそこで生きる女の表面と内面が重なる。
著者である花房観音氏は、それらを他人事のように傍観できる女性がいるとしたら、「幸せなアホ」だと言う。女のセックスは、常に痛みと悦びが対。本書はそのことを、女にひしひしと痛感させてくれるのだ。