「VERY」川の字問題に見る、「妻であり母であり女である」ことへの限界
毎月、決まったモデルが起用されることがなくなった「VERY」(光文社)の表紙に、今月は女優の竹内結子が登場しています。どうやら、映画『ストロベリーナイト』の公開に合わせた企画のようです。今まで、井川遥か滝沢眞規子しか表紙に登場しなかったので、女性誌では定番の「表紙の人インタビュー」が「VERY」にはなかったのですが、今回は竹内のインタビューも掲載されています。しかし、このインタビューは、「VERY」イズムに合っているのか合っていないのか……。 竹内は、別に「VERY」の「妻であり母であり女である」というアイデンティティで生きている人ではないので、雑誌の中でここだけ浮いてしまっているような気もしました。
<トピックス>
◎竹内結子さん、最近バージョンアップしてますか?
◎“変身”で新しい私を発見!
◎VERY世代に横たわる「川の字問題」
■竹内結子とのかみ合わせの悪さ
竹内は、女優として確立した地位を築き、プライベートを売りにしていない人物。もちろん、中村獅童と離婚してしまったが過去を持つゆえに、プライベートを話題にしても、竹内のイメージアップにはつながらないという事情もあります。にしても、やはり積極的に子育ての話をしたり、母であることを押し出してファッション誌のアイコンになるとイメージがありません。「ママにならないと一人前と思われない」という価値観の横行する今の芸能界においては、非常に珍しい人なのではないでしょうか。
もっとも、「ママにならないと一人前でない」とは、グラビアアイドルが、次のステップに移行するための方法論から生まれた価値観。もともと女優や歌手として地位を確立している女性芸能人は、積極的にママとしての自分をアピールする必要はなかったように思います。しかし、一部のグラドルや「VERY」の功績でしょうか、「妻であり母であり女である」すべての面で優れていなければならないという価値観が、あまりにも世間的に浸透してしまったため、本来なら必要なかった人までが、この価値観に迎合するようになりました。
例えば、倖田來未は今、「妻であり母であり女である」という地位を確立して、新しいスタートを切ろうとしています。一方で浜崎あゆみは、「妻であり母であり女である」ことに迷走しているようにも見えます。しかし、倖田や浜崎のような「自分はどうあるべきか」に執着している女性よりも、「妻であり母であり女である」ことをアイデンティティにしていないように見える安室奈美恵の方が、人にイタさを感じさせない。
この例で考えると、母にはなったけれど、離婚をしている竹内と安室は、非常に立場が似ています。そして女優としての竹内を見た時、「妻であり母であり女である」という価値観にこだわっていないからこそ、幅広い役柄を演じられるのではないかと感じました。『ストロベリーナイト』で、母親にいつまでも娘として扱われることにうんざりしている、独身の警部補を演じられるのも、こうした理由によるのでしょう。
ただ、そんな竹内と「VERY」の相性となると、やはり首を傾げてしまいます。「VERY」はもともと、「妻であり母であり女である」という価値観の中でも、「妻である」ことが実は一番重要な位置を占めている雑誌なのです。現在、「妻」ではない竹内に対して、「VERY」がどこか遠慮している気もしました。まぁ、「竹内結子をどう扱っていいかわかんない!」という「VERY」のうろたえぶりを見るのは、多少面白かったですが。
■まだまだアイドル気分!!
さて、今月の特集は「“変身”で新しい私を発見!」です。なんでも「子育てステージの節目が、バージョンアップの機会」なんだとか。要は季節的に卒業式、入学式を控えているので、その機会に母である自分も転校生のように変身しちゃおうってことですね。
この特集で気になるのは、モデルたちの変身のきっかけとなった言葉が掲載されているところ。例えば、表紙にもたびたび抜擢されている滝沢眞規子は、モデルになることに対して、最初は「ホントに私やりたいのかな?」「私にできるのかな?」という迷いがあったのだとか。しかし、「滝沢さんって美人じゃないじゃん、要はキャメロン・ディアスでしょ」と言われたことで、明るく、気取らない、「素の自分でいけばいいのかな」と思えるようになったと語ります。また、畑野ひろ子は、雑誌に掲載された「かがんで男の子の襟のボタンをかけてあげている」という写真を見た読者から、「畑野さんみたいなお母さんが理想」 と言われたのだそうです。もともと畑野は、自分自身を「流行感のあるカジュアルさが支持されている」と評価していたのですが、そういう思い込みを捨てて、「とことんステキな母スタイルを楽しんじゃおう」と思えるようになったとか。そんな、「自己啓発書」じみた企画なのです。
しかし、この自発的ではなく、「人から言われたから仕方なく……」という姿勢は、「VERY」で連載を持つ小島慶子がもっとも嫌う、「友達のオーディションについてきたら、たまたま私が受かっちゃった!」という構図とまったく一緒。「変身」をテーマにした特集でも、自らが新たな一歩を踏み出そうとするのではないんですね。「VERY」はまだまだ「選ばれた」「背中を押された」という価値観からは逃れられなそうようです。
■旦那と子どもがグレるのは妻の責任?
さて、後半ページは、「VERY世代に横たわる『川の字問題』」という、ある種、よその女性誌ではやりにくい赤裸々な企画が。川の字で寝ると旦那とセックスレスになる可能性がある。でも子どもを1人で寝かせると子どもの精神不安定が進むという、悩ましい問題が提議されていました。
これに対して「VERY」は、「夫と子がグレないための妻の心得」を掲げています。妻というものは、旦那と子どもがグレるのを予防しながら生きないといけないんですか!? 大変すぎますね。
その中に書いてある夫への対策は、「寝方に満足しているか聞く」「パパではなく名前で呼ぶ」「子供意外の話題で夫と話す」「月に一回おうちプチイベントをする」「常に夫より一歩下がってあげる」「子供ではなくあなたが一番と言葉や態度で示す」「川の字の卒業時期を決めておく」というもの。
これは、セックスレスを避けるために、「いかに旦那に女として見てもらうか」への対策なのでしょうが、セックスレスは川の字で寝ているだけで起こる問題ではないような気も。むしろ、男性は追いつめられるとヘソを曲げるものなので、「寝方に満足しているか聞く」なんてディスカッションをしたら、よけい解決から遠のいてしまうのではないでしょうか。こちらが、確固たる意志を持って、何かを変えようとしている、その得体のしれないパワーが見えることが、セックスレスの一番の原因にも思えるんですが……。
前半のファッションページは、「妻としても母としても女としても完璧な、生き生きした私!」という価値観を全面的に押し出され、いつも華やかな雰囲気が漂っている「VERY」。しかし、後半ページではそれが一変し、「子育てがつらい私は、ダメですか?」と承認欲求を求めたり、「VERY世代に横たわる川の字問題」といった、子どもを取れば旦那がグレて、旦那を取れば子どもがグレるという切実な悩みがつづられています。「VERY」は前半と後半が両極端なのです。
後半にいけばいくほど、一見華やかな「VERY」の抱える、特に妻として、母としてのリアルな悩みがよく見受けられます。しかし、妻であり母であるという役割を意識するからこそ、妻でも母でもない人よりも「でも自分は女なんだ」という確信が持てているような気もします。このリアリティが誌面からにじみ出ていることが、「VERY」のすごさだと思いました。
(芹沢芳子)