「あとは死ぬだけの母親がうらやましい」独身の一人息子が見た介護
親の介護に直面するのは、娘や嫁ばかりではない。息子だって同じだ。息子が母を思う気持ちは、娘のそれとはかなり違う、と思う。ママが大好きな息子たちは、小さい頃から男らしさを要求されて育てられてきているから、ママ大好きな気持ちを隠しつつ、それでもママのためならなんでもしてあげたいという気持ちの狭間で苦悩している、ような気がする。でも、ママ大好きじゃない息子だってたくさんいる。これは断言できる。そんな息子が介護をするとなると、娘の場合とは違う苦悩があるようだ。今回はそんな息子の話をしてみたいと思う。
<登場人物プロフィール>
小田 誠(48) 首都圏で猫3匹と暮らす。結婚歴はない
小田 マサ子(78) 小田誠の母
■市からの連絡ではじめて母の認知症に気づく
小田誠さんは猫3匹と1DKアパートで暮らしている。「結婚したことも、結婚したいと思ったこともありません。僕みたいな愛情の薄い男が結婚なんてしちゃいけないでしょ」と、自虐気味に笑う。愛情が薄いという小田さんだが、猫だけは例外のようだ。これまでに猫と暮らしていなかった時期はない。
「猫のほかの家族? 血縁関係として言えば、母がいますけどね。まあ一応家族なのかな。でも、もう母親は私のこともわからない状態ですよ。死んではいない、っていうだけ」
小田さんの母親もずっと一人暮らしだった。
「母親も僕に似て、人嫌いで医者嫌い。自宅にこもって人と会うこともほとんどなかった。僕にもね。それが、どうも様子がおかしいと心配してくれた近所の人が、市に連絡をしてくれて。ありがたいもんですね。それで僕に連絡が来たってわけです。病院に連れて行ったら、認知症がかなり進んでいると言われました。一人暮らしさせるのは危ないという状態だったので、自宅を引き払ってサービス付き高齢者向け住宅(※)に移ったんです」
※サービス付き高齢者向け住宅(サ住)とは、昨年整備された高齢者向けの賃貸住宅。安否確認や見守り、希望者には食事などのサービスが提供されるが、介護サービスが提供されるわけではなく、必要な者は個別に介護サービス運営会社と契約し、利用することになる。賃貸住宅だから、補償金や家賃が必要なほか、掃除や洗濯、食事をお願いしていればそれぞれの料金が掛かってくる。
「このサ住の経営者が、『高齢者に良質の住宅を安く提供したい』と考えているできた人だったので助かりました。実は僕は5年ほど前に勤務先をリストラされて、今はアルバイトで食いつないでいる状態なので、母の生活費を出す余裕なんてまったくありません。しかも、母は無年金です。父親と別れてから食べるだけで精一杯。年金を掛ける余裕なんてなかったようです。まあ僕も似たようなものなんだけど。それで経営者の方にはこっちの事情をありていに話して、生活保護でなんとかなる金額で収めてほしいとお願いしたんです」
■「死ぬまで生かされる」母
このままこのサ住で最期まで看取ってもらえるだろうと安心していた小田さんだったが、まもなく母親が入院し、サ住は半年余りで退居しなければならなくなってしまった。「僕の見通しが甘かったですね。『そう簡単に楽にはさせないぞ』と母なのか、もっと大きな存在なのかが僕に言っているような気がしました」。病名は、誤嚥性肺炎。誤嚥性肺炎とは、食べ物や唾液が気管から肺に入ってしまい、口中の細菌が肺で炎症を起こすのが原因となり、飲みこむ機能が低下する、高齢者にはよく見られる病気だ。
「快復の見込みはまずないでしょう。意識もないから、入院当初はもう長くは持たないだろうと思っていました。正直、そうなることを望んでいました。それがあいにく、心臓は強かった。もうダメだと言われながら、何度も持ち直して……持ち直して喜ぶのが子どもなんでしょうけど、僕は逆。持ち直したと聞くたびにがっかりしている。担当医も看護師さんも、まさか僕がそんな気持ちでいるなんて思ってもいないでしょうが。いや、もしかしたら気づいているかもしれない。もう医者から病状説明もありませんから。こっちも別に病状を聞きたいとも思わない。長期化は覚悟しています。となると、いつ『退院してくれ』と言われるかわからない。それが頭の痛いところです。病院から話があるまでは、知らん顔していようと思っていますがね」
今、小田さんを悩ませているのが母親のおむつ代だ。生活保護を受けているので入院費は掛からないが、おむつ代は別枠で、使った枚数分がきっちり請求される。これが結構な負担になっているという。「おむつを使うなとも言えないし(笑)。赤ん坊だった僕のおむつを、母も替えていたんだなと思ったりもしますよ。ちょっと優しい気持ちになるかな。その一瞬だけね」。せめて洗濯代だけでも節約しようと、洗濯物は小田さんが持ち帰っている。「男一人暮らしの狭い部屋が、女物……といっても婆さんのだけど……洗濯物で一杯ですよ。今は洗濯物が溜まるから面会に行っているようなものです」と苦笑する。
何もわかっていないはずの母親だが、小田さんが面会に行くと手を強く握るのだという。「スタッフが手を握ってもまったく反応しないらしいのに。『この状況から逃げ出したい。早く楽にしてくれ』という、母の意思のようなものを感じます。僕だってそうしてやりたい。でも、何も食べてなくても点滴があるから、死ぬこともできない。皮肉だけど“死ぬまで”こうして生かされるんだなと思いますね」。
それでも、小田さんは母親をうらやましく思うことがある。「仕事もないのに、この先あと30年は生きなきゃならない自分と比べると、母はあとはもう死ぬだけですからね。こんなことを考えるなんて、我ながら、とことんどうしようもない男ですよ」。
「ただ、今あらためて思うのは、どんな感情を持っているにしても、やっぱり老後に大切なのは『家族』だったのかな、と。今さら気がついても、もう遅いんですけどね」
そう言う小田さんの手には、母親の洗濯物の入った大きな紙袋が握られていた。