「一生逃げられない」家族で支配と従属を繰り返させ呪縛するモンスター
(前編はこちら)
■緒方純子と松永太の出会い
1962年、純子は緒方家の長女として生を受けた。祖父は元村会議員、父は農協の副理事を務める裕福な名家だった。厳格な父の元、まじめで順々な少女だった純子は地元の短大に進む。20歳になった頃、高校の同級生だった松永と再会し交際へと発展した。当時、松永は結婚していたが、「必ず離婚する。緒方家の婿養子になる」といって純子だけでなく家族も籠絡した。最後まで反対する純子の母親を、言葉巧みにラブホテルに連れ込んで関係を持ったともいわれる。そして純子への暴力が始まった。「処女ではなかった」から始まり、些細なことで暴力を振るわれるうち、純子は「暴力を振るわれる自分が悪い」という心理に追い込まれていく。次に、松永は純子を家族や友人から切り離していった。友人たちにひんしゅくを買うような電話を強要し、勤務先の幼稚園も辞めさせた。社会との関係を遮断させるのは、DVでもよく用いるパターンだ。友人や家族から隔離させることにより、松永は純子にとっての“唯一神”“絶対支配者”として君臨することに成功する。
だが、当初は純子も多少とはいえ抵抗も試みている。それは自殺という自己犠牲の方法だった。だがこれは未遂に終わる。松永の呪縛は自殺未遂以降、さらに激しさを増していった。何度か逃亡も試みたが失敗したという。
松永から逃れることはできない――。DVとは「逃げられない状態」へ追い込むことでもある。そして松永の詐欺商法の手伝いをするまでになり、92年には詐欺や脅迫容疑で、松永だけでなく純子も共に指名手配され、逃亡者へと落ちていった。そして自らの家族を全滅へと導いてしまうのだ。
当初、マスコミや世間は純子が松永の暴力によってマインドコントロール下にあり、ある意味で被害者だったということに懐疑的だった。もしそうであっても、ある程度の自由がありながらなぜ逃げなかったのか? 幼い姪と甥まで手に掛けたのはなぜか?
だが、それは幸運にも松永のようなモンスターに出会うことなく自由を謳歌している人間の想像力のなさ、戯言なのかもしれない。過去において、オウム真理教事件では薬物や閉鎖的空間での洗脳が繰り返し行われ、信者たちは犯罪に駆り立てられていった。ナチの強制収容所では、自分の身を守るために収容者が仲間であるはずの別の収容者を率先して虐待した。女子高生コンクリート殺人事件、新潟少女監禁事件においても、暴力支配によって、被害者たちは次第に逃げる気力を失わされていった。
またストックホルム症候群のように、誘拐や監禁された犯罪被害者が閉鎖的空間で生活を共にするうち、犯人に対し共感のような感情が芽生え、犯行の手助けさえするケースもあるのだ。よど号ハイジャック事件でも開放された乗客が犯人にエールを送ったこともまたこうした心理であり、個人的資質が問われたり批判されるべき事象とは一概に言えないだろう。
■モンスターの呪縛とメッセージ
「自分は大丈夫」、そう胸を張る者は多い。しかし誰か家族の1人が、彼らのような“怪物”に出会い標的とされたなら――。家族を救おうとして、自らも彼らの暴力や巧妙な言葉に絡め取られてしまう危険性は誰にでもあるだろう。自分1人だけなら逃げられたかもしれない。しかし、人質に取られた家族を救おうとすれば――。「家族の問題だから」と警察も簡単には介入してくれない。家族全体が社会から孤立され、外から遮断された残虐な行為は闇に葬られていく。尼崎事件でも「問題を解決する」といって出かけたまま消息を絶った犠牲者もいる。
一度嵌まった罠から抜け出すことは容易ではない。彼らは標的に対し執拗で狡猾だ。血縁や情、性的関係、そして暴力やウソを巧みに利用し人間関係を瓦解し、相手を追いつめていく。
そう考えれば純子自身の生い立ちや個人的資質はそれほど重要ではない。こうした特殊な環境に置かれれば、人間誰しも陥る可能性を秘めていることだから。純子は松永と“出会って”しまった。そして暴力と支配の中、「松永からは一生逃げられない」と諦観させられた。殺人にも手を染めてしまった。純子は家族を殺すたび「(全員を)殺した後は自分が殺されるのだろう」と、当時の心境を冷静に振り返ってもいる。
人間の心は危うい。家族の情や血縁さえも、簡単に凌駕する。その瞬間だけでも自分を守るために、暴力や苦痛から逃れるために家族をも犠牲にする。残虐に振る舞わなければ、ターゲットは自分になる。そんな環境の中、生き抜いた純子だったが、後に父親との思い出の写真を肌身離さず持っていたことが明らかになっている。
自由と希望を剥奪されコントロールされる人間の絶望。純子は松永にとって、「自分に絶対服従し、手足として最後までとっておくに都合のいい存在」に過ぎなかった。逮捕後、純子はしばらく黙秘を続けた。
「松永に迷惑をかけてはいけない」「実行犯の私が悪い。松永の罪は重くない」
逮捕後もしばらくは松永の呪縛から開放されなかったのだ。だが、逮捕から7カ月が過ぎた2002年10月下旬になって、純子は全面供述に転じる。松永の呪縛から逃れるには、この程度の時間が必要だったのだろう。法廷でも罪状を認め、「20年にわたって松永の影響を受けてきた。これが自分の人生だから、誰の責任でもない」と自ら死刑を望む証言をした。一方の松永は、拘留中も弁護士を通し、純子に「メッセージ」を送っている。これは一種の脅迫であり、“支配”を続行しようと試みたものとみられている。さらには「人肉を食べた」など、純子やその家族を貶めるような供述さえしている。法廷でも「実行犯は純子。自分は指示誘導を一切していない」と無罪を主張し、下ネタや自慢話を織り交ぜた独自の主張をまくし立てた。
■マインドコントロールは裁判で認められるのか
05年一審判決。純子は松永とともに死刑が言い渡された。松永と純子の“服従関係”を裁判所は認めず、情状酌量すべき事情とは認定されなかったのだ。現在の法曹界はこうした心の問題に深く切り込まない傾向がある。いや、避けて通ろうとしたとしか思えない判決といえる。だがそれでは問題の本質、事件の全貌を解明することはできない。
そんな一審判決に対し「DV、恐怖での支配という構造を全く無視した判決は容認できない」と、純子の支援を表明した女性団体があった。また事件を取材し『消えた一家 北九州・連続監禁殺人事件』(新潮社)を著した豊田正義などのジャーナリズムの働きもあり、減刑署名や要望署名活動が行われていった。
そして控訴審。「マインドコントロール下の犯罪で、自供や反省の態度が見える」として、純子は無期懲役に減刑されたのだ。恐怖による判断能力の低下、心理的服従、DVやPTSDが情状酌量として量刑に認められた“順当”な判決だった。
昨年12月、最高裁において純子の無期懲役は確定した。また、松永も一審からの死刑判決は覆ることはなく、同じく最高裁で死刑が確定している。
「北九州一家監禁殺害事件」は遺体もなく、純子と少女の証言によって立証された難しい裁判だった。その中で直接手を下さず、暴力と恐喝で絶対的支配者を続けた松永に最たる責任があることを認定した。これは、今後行われるであろう尼崎事件の裁判にも少なからず影響するだろう。支配者が男から女へと転化しているとはいえ、事件の構造、支配と従属の関係はあまりにも酷似している。
暴力と恐怖による支配、洗脳を解明する裁判になることを期待したい。
(取材・文/神林広恵)
参照
『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』
(豊田正義著、新潮社)