[連載]悪女の履歴書

「凶悪事件犯は男」――時代の論理を覆した女死刑囚「フェアレディZ」

2012/11/12 21:00
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■犯行時の信条は「お金持ちだけが幸せになれる」

 知子は一攫千金を夢見ていた。金銭的に恵まれなかった幼少時代。しかし中学時代から周囲に「自分の父親は地主で大金持ち」といった嘘を吹聴しミエを張った。学力は優秀だったが、家の経済事情で合格した東京の大学にも入学は果たせなかった。最初に結婚した夫はムスタングに乗り「カネがなくても、最高の車に乗り、高級品を身につける。そうすれば自然にカネ回りがよくなる」と嘯くような男だ。そして離婚したが、地道に働くのではなく、売春をし、実母とともに生活保護を受ける生活へと落ちていた。知子は派手な服装で頻繁に外出し、周囲に怪しい儲け話を持ちかけ、「父は古美術の鑑定家」「父親の膨大な遺産が入った」という嘘を相変わらずついた。「貧乏人はいくら苦労しても絶対に幸せになれない。この世はお金持ちだけが幸せになれる。絶対に」。地道に働くなんて真っ平。これが犯行時の知子の信条だったという。また溺愛している息子を医者にするという夢のためにも金が必要だった。そんな中、知子が実行したのが2件の誘拐事件だった。

 知子は一攫千金ばかりに固執した。だがその犯行は実に行き当たりばったりだと言わざるを得ない。保険金殺人にしても、あまりに安易な方法で失敗しているし、誘拐にしても遺体を隠すことなく投げ捨て、挙げ句2件とも金を入手すらできていないのだから。

■「誘拐殺人犯は男」という“常識”と「男の責任」

 誘拐容疑の共犯として逮捕された2人だったが、当初から警察は北野が“主犯”であり知子は男に唆された“従犯”だと決め付けていたフシがある。また知子も「北野に指示され女性たちを迎えにいっただけ」との供述をしていたことも、それに拍車をかけた。当初、北野は取調べに対し無実を主張したが、刑事は「宮崎を見殺しにするのか。男なら宮崎の罪を着ろ」「宮崎はこのままでは死刑だ。女の罪をかぶって命を救うのが男の責任だろ」と攻め立てていく。「男の責任」を全面に出し、北野から自白を迫るための手法だったのだろうが、 昭和55年という時代に犯罪においても「男の責任」という“論理”がまかり通っていたことは興味深い。


 警察は誘拐殺人という凶悪事件において、女が主導したなどとはハナから考えず、“男”である北野が主犯だと疑わなかった。被害者たちも女性とはいえ18歳と20歳という年齢であり、彼女たちを誘拐し殺害、さらに身代金を要求した犯行が、女主導で遂行できるはずがないと考えた。ましてや単独犯などあり得ないというのが当時の“常識”だった。こうした取調べの末、北野は「自分が殺害した」という調書にサインしてしまう。この北野の自白、そして知子の供述に基づき、検察は富山、長野両事件とも殺人の実行行為は北野、誘拐は知子、死体遺棄は2人の共犯という“北野主犯説”で2人を起訴したのだ。

 だが北野は弁護士の接見を契機に無罪を訴え始める。同時に「恐ろしい女と俺がいた。それだけでも恥なければいけない。俺は罪に服さなければならない人間です。卑怯者にはなりたくない。無罪になっても生きておれん」と自らの責任を語っているのも興味深い。当時の“男の責任”とは、これほど人を縛りつけるものだったのだろう。

 裁判で北野は一環して無罪を主張した。知子に対しても、「これ以上嘘をつかないでくれ!」「魔女のような心を持つ恐ろしい女」と糾弾するなど、かつては愛人関係にあった2人による全面対決が繰り広げられたのだ。

 北野の法廷での無罪主張ではあるが、検察は起訴事実に則り“北野主犯”を簡単に崩すわけにはいかない。多くの証人を出廷させ、北野の犯行を立証しようとした。が、法廷を重ねても殺害に関与した証拠はおろか、物証も出ることはなかった。そして昭和60年第125回公判で、遂に検察は殺害・死体遺棄ともに、北野ではなく知子の単独犯行という異例の訴因変更を行うのだ。初公判から、既に5年の月日がたっていた。

 昭和63年年2月、富山地裁は一連の誘拐殺人が知子による単独犯行と認定、死刑判決を下した(98年最高裁で確定)。一方の北野には無罪となった(93年2月名古屋高裁・金沢支部で確定)。北野の拘留は実に8年にも及んだのだ。


 これは冤罪事件でもある。一部の犯行を認めた知子、その供述に沿ってでっち上げた犯罪ストーリー、強引な聴取、自白偏重、物証軽視、そして「男の責任」という論理や「凶悪犯は男」と思い込んだ見込み捜査――ここには、現在に至るまでの警察の問題点も如実に現れている。

 裁判で認定された身代金目的誘拐殺人事件に北野の影はない。ただ知子の愛人でありビジネスパートナーだった北野は、犯行当時の3月3日から8日の間、知子の「東京の男から金を貰う」という嘘の儲け話に従い、長野、東京、埼玉長野、高崎とフェアレディZを意味もわからず運転しただけだった。

 連続殺人と冤罪。しかしこの事件をマスコミがセンセーショナルに報じた要因の1つに当時人気のスポーツカーだったフェアレディZの存在があったことは間違いない。赤いスポーツカーを駆使しての犯罪に、当時のマスコミは知子を“フェアレディZの女”と呼んだ。

 なぜ被害者女性たちは、いとも簡単に知子を信じたのか。その要因にもフェアレディZの存在が指摘されている。声をかけたのが男ではなく、妙齢のサングラスをした都会的女性だった。しかも会社を経営しているらしい。愛車はフェアレディZ――。連続誘拐事件の代名詞的存在として使われてしまう車種となってしまったが、知子の犯行動機の1つが、フェアレディZの250万円というローン返済だったというのも、皮肉としかいいようがない。

 66歳となった宮崎知子は、現在でも名古屋拘置所に収監されている。そして昨年8月には、富山地方裁判所に2回目の再審請求を行った。
(取材・文/神林広恵)

参考文献
「女性死刑囚 十三人の黒い履歴書」(鹿砦社)深笛義也
「女高生・OL連続誘拐殺人事件」(徳間書店)佐木隆三

最終更新:2019/05/21 20:00
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