「親子の愛憎劇の幕引き、憎いなら憎めばいい」親の介護で繰り返される業
――実際世の中、そんなに仲良し親子ばかりじゃないですよね。親のことが嫌いという人も結構います。
小山 もともと親子関係が悪かったという人は、介護を親子関係を改善するチャンスだと思ってほしいですね。それにケンカできればまだいい方。ケンカにさえならないかもしれません。それほど介護は闘いなんです。うちの施設の入所相談でも、「これまで、親に愛されてこなかった」という人は多いですよ。目の前で泣かれることもよくあります。本人は「愛されなかった」と思いこんでいるのでしょうが、本当にそうだったかどうかは、また別だと思います。客観的に見ると、必ずしもそうとは思えないことも多い。実際どうだったかは置いといて、介護という現実の前では、この場を親子関係の修復の機会だと思えばいいんですよ。本当の親子関係を見つけるために、前向きに介護をやってほしいと思います。
――親が嫌いだという人が介護と向き合えるんでしょうか?
小山 私が見るかぎり、親子関係が悪かった人ほど介護に執着しますね。ほかの兄弟ではなく、自分から介護の担当を買って出て、愛憎劇を繰り返している。それほどまでに憎んでいる親は、もはや昔の親ではなく、今は自分より弱い存在になっているのに、です。「私は愛されなかった」と思うのなら、離れればいいのにと思うんですが、そうはならない。人間って業が深いな……と思いますね。
私は30代で両親を亡くしましたから、実の親の介護は経験できませんでした。どんな介護になっていただろうかとも思います。それでも生きていてくれていた方がよかった。だからというわけではありませんが、愛憎劇もやるなら徹底してやればいいと思うんです。憎いなら憎めばいい。途中でやめるから、中途半端に感情が抑えられて、感情の行き場所がなくなるんです。半端だから愛憎劇が終わらない。介護は最後まで突き詰めるチャンスなんです。親が生きている間に、勇気を持って愛憎劇に幕を引いてほしい。もちろんそれは口で言うほど簡単なことではありません。それまでの互いの人生が明るみに出るんですから。しかも、1対1ではない。父と母、さらに兄弟との関係、それぞれが複雑に絡み合っているんですよ。「お父さんは妹ばかり可愛がっていた」「お兄ちゃんは優等生だった」ってね。難解な数式以上の関係です。
――介護が大変だからと仕事をやめる人もいるらしいですね。
小山 介護のために仕事をやめるのは、絶対おすすめしません。それでもやめてしまう人は確かにいますね。私は、そういう人は何か満たされていない部分があるんじゃないかと思っています。だから仕事をやめて、親の介護に没頭してしまう。どうしてもそうしたいなら、自己責任でやればいいとも思います。だいたいそこまでやる人は、視野も狭くなっているから、周りの人が何と言おうと聞く耳を持っていません。それも男性に多いような気がしますね。親の介護に逃げているんじゃないかと思うくらい。だって、仕事がうまく行っている人が、親の介護のために仕事をやめたりしますか? うまく行ってないから、親の介護が必要になると、渡りに船とばかりに仕事をやめてしまうんじゃないかな。当然そういう人は先も見えていない。親が死んだ後のことをまったく考えていないんです。親は必ず死にます。それなのに仕事をやめて、親が死んだ後どうやって生活するんですか。周りから聞かれても、本人はそこで思考を止めているから、答えられるわけがないんです。
――でも仕事と介護との両立も大変ですよね。
小山 確かにそうなんだけど、まるで「介護にはまる」ように、介護と仕事のどっちもがんばれる人はいますね。やっぱり親への愛情がそうさせているのかな。それは私にもはっきりは言えませんけどね。仕事をしている人には「介護休暇」や「介護休業」が制度化されています。介護休暇制度は、介護の必要がある日に、対象家族が1人なら年に5日、1日単位で休むことができる短期の休暇制度です。介護休業制度は、対象家族1人について通算93日まで休むことができる制度です。
つまりおおよそ3カ月の連続休暇が取れるわけですが、私は1カ月で十分だと思っています。1カ月間、しっかり親孝行して後はプロに預ける。それ以上がんばっても親も疲れるだけですよ。お世話される方もつらいの。死ぬこともできない自分ってみじめなものです。ましてや生涯介護をされるなんて、親にとっても重いことです。だから1カ月が適当。1カ月なら気合いを入れて介護できるでしょう。子どもの自己満足だっていいんです。親にとっても、それくらいなら負担にならない。自分もそこそこ頑張れる。そして1カ月の間に、次の段取りを考えておいて、あとはプロに任せましょう。
――でも、1カ月で何ができるでしょうか?
小山 長さは問題ではないんです。親子関係をきれいにクロージングするために、後から振り返って「あの時は楽しかったね」と語りあえるようないいエピソードを残してほしい。子どもの頃の記憶だってそうでしょう。「あの時こうだった」というエピソードしか記憶していないはずです。介護も同様。いいエピソードを残せば、満足して終わることができます。1カ月ならいい思い出を作れますよ。その間、自分の心象風景を心地よいものにするために頑張ればいいと思う。「子どもの頃、親に○○してもらえなかった」と思っているのならなおさら。やり残しはしないことです。
――介護される親のつらさなんて考えたことがありませんでした。
小山 今の高齢者は、介護保険もなかった時代に舅姑の介護をしてきた人たちです。それだけに、子どもやお嫁さんの世話にはなりたくないと思っている人が多いですね。誰だってそうでしょう。あなただって、人の世話になりたいですか?
それなのに、今の介護は「お世話すること」がメインになってしまっています。そんなのは、悲しくみじめな介護生活ですよ。高齢者がそれで生きる意欲がわくわけがない。人としての尊厳とか、人権とか唱えてはいるけれど、方向性が全然違っているんです。だから「おとなの学校」では、これまでのような介護はしません。「介護しない介護」をするのが「おとなの学校」なんです。
――では「おとなの学校」では介護されるつらさがない?
小山 学校を卒業して何十年も経った高齢者にとっては「学校」が、私たちには想像できないくらい楽しいところなんです。なぜなら、そこには未来があるから。「今」の認識しかできない認知症の人には未来がありません。人間はどんなに高齢になっても未来が必要なのです。最後の一瞬まで未来がないと生きていけません。それなのに現在の介護は、高齢者に未来なんて必要ないと思っている。未来がないから、「明日はデイサービスだ」と思っても、身体は動きません。でも「明日は『おとなの学校』だ」と思うと、楽しく準備ができる。自分が17歳だと思えるから身体も動くのです。
――そこでの介護法を自宅でも取り入れることはできますか?
小山 「お世話してあげる」という名目で、その人ができることを奪わないことです。私たちは、毎日仕事をしているので、休日は休みたいと思います。しかし高齢者は毎日が日曜日。だから仕事を奪ってはいけません。年を取ると、社会的役割がなくなっているので、何か役割を作るといいですね。例えば認知症の人は動くものが好きなので、金魚など小動物の世話をしてもらえばいいですね。ほかにも孫の世話とか、料理とか、家の中でできて、その人の得意なことならベストです。そして、やってもらったらほめること。ただ、認知症の人に火は危険です。早いうちに電磁調理器に変えておきましょう。
それから、耳の遠い人には「低い声で話しかける」こと。高齢者の難聴は、高音域から聞こえなくなりますから。
――自分が年を取ることを考えると、健康も不安ですが、経済面も不安です。女性は寿命が長いからなおさら、お金がないと満足な介護も受けられませんよね?
小山 「パラサイト」と言われる、独身で親と同居していた人たちが年を取ってきていますね。結婚していないから、子どももいない。それまで親の介護で一所懸命だったのが、親を見送って、気がついたら自分が介護を考える年になっている……。
これまでは特に、「結婚は社会保障」という意味が大きかったですね。身体やお金の心配をするんだったら、やっぱり社会保障として結婚しておいたらいいんじゃないかと私は思います。子どもも産んでおいてソンはない。女性は男性より寿命が長いから、どうしても生き残ります。その時に子どもがいないと、介護が必要になったり、入院した時にキーパーソン(介護サービスなどの利用者本人と、もっとも信頼関係を築くことのできている人物)もいないことになってしまう。甥や姪でも悪くはないのですが、子育ても人生のトレーニングだと思って取り組む価値は大いにあります。
――老後の不安を解消してくれるのは結婚、ですか。
小山 先行きに不安を覚えるのは、健康やお金が心配というよりも、本当は支える人がいないからなのではないですか? そういう意味でも結婚はおすすめですよ。それに結婚は50歳でも60歳でもできます。籍は入れなくても、一緒に暮らすだけでもいい。旅行するだけの関係でもいい。だから、異性に限らなくてもいいんです。女友達も大事です。
一人暮らしの60歳代の女性がしみじみと言っていました。「毎晩シャワーを浴びながら、ここで倒れたら私はどうなるんだろうって思う」と。年を取ると、一緒にいてくれる人がほしくなりますよ。「おひとりさま」より「おふたりさま」です。それでもやっぱり一人がいいという人は、お金をためて老人ホームに入ればいいと思います。でも、一緒にいてくれる人がいるのは心強いものです。だから、信じるのはお金ではなく、「人」なんです。お金は、「君は死なないよ」とは言ってくれませんからね。
いずれにしても人生の最後に待っているのは、「介護」ではありません。最後まで「生きる」ことなんです。それが、親やあなたの人生の総括。どんな介護をするか、どんな介護を受けるかではなく、「どう生きるか」だと私は思います。
小山敬子(こやま・けいこ)
ピュア・サポート グループ代表。久留米大学医学部を卒業後、熊本大学大学院医学研究科博士課程修了。医療法人社団大浦会を中心とした医療・介護・福祉共同体である「ピュア・サポート グループ」代表。現在、学校形式のデイサービス「おとなの学校」を展開、拡大中。
著書に『夢見る老人介護』(くもん出版)、『なぜ、「回想療法」が認知症に効くのか』(祥伝社新書)、『介護がラクになるたったひとつの方法』(サンマーク出版)がある。