コラム
[連載]安彦麻理絵のブスと女と人生と

「子ども欲しいような気がする」と思いがよぎった時、それは「魔の時期」だ

2012/10/14 21:00
(C)安彦麻理絵

 私の仕事部屋の、すぐ向かいのマンションに住んでる男が「バカ」である。他人様の事を「バカ呼ばわり」するのは、いかがなものかと思うのだが、しかし、どう考えても「コイツはバカ」と、言い切りたくなるような、そんなバカっぷりなのだ。

 歳の頃は20代前半だろうか。パッと見、学生風である。しかし、学校に行ってる様子もなく、かと言って社会人にも見えない。というのも、その男が割と日中に家にいるからである。そのマンションはかなり家賃が高そうで、裕福な家族が住んでる物件なのだが、そのバカは、そんなマンションに1人で住んでいる。およそ、2LDKはあるのではと思われるような物件に、働いてる様子もなく一人暮らし……いわゆる「スネかじり」なんだろうか?

 そんなバカの事が妙に気になって私は、ベランダでタバコを吸いながらしょっちゅう「バカ宅」を盗み見してしまう。広い部屋の中には、トレーニング用のマシーン、ベンチプレスが置かれてあり、ダンベルが転がっている。そしてエレキギターも部屋の隅に立てかけてある……なんていうか、やっぱり「バカ」である。「親に買ってもらったんだろう」というニオイがプンプンで、絵に描いたような「バカ息子ルーム」である。そんな部屋でバカはよく体を鍛えていたりする。それも、カーテンを開けっ放しにした丸見えの状態に、トランクス一丁という出で立ちで、ウシウシとダンベルを上げ下げしてるのである。とは言え、鍛えてる割には、今ひとつ「魅惑的なボディ」とは言いがたい。何しろ、安っぽい通販で買ったみたいなちゃぶ台の上には、いつも「ジュースとカップ麺のカラ」が、置きっぱなしである。味覚がもう「バカ息子」なのである。そんなものを食ってる奴が、「an・anの男ヌード特集」に出れるような体になれるはずがない。バカがトレーニングに熱を上げる理由は、それは十中八九「持て余してるエネルギーの消費」であろう。何もしないで家にいたら、エネルギーが有り余るだけなのだから。

 ところで最近バカは、エレキギターをいじらなくなった。昨年の夏は、周囲が寝静まってるような夜中に、窓を開けっ放しにして、これまたトランクス一丁でジャカジャカと激しくかき鳴らしていたのだが……「近所迷惑」という概念が、このバカの脳内にはないらしい。最近、エレキギターを弾かなくなったのは多分、「近隣からの苦情」という理由よりも、ただ単に「バカがギターに飽きたから」というだけのような気がする。そんなふうに、バカの騒音被害から解放され、ホッと胸をなで下ろしていたのも束の間。今年の夏は、バカがさらにバージョンアップしていた。

 というのも、夜中に、ともすりゃ明け方の3~4時とかに、電気を消した真っ暗い部屋の中で、いきなり歌を歌うようになったのである。それも、アカペラの大音声で。歌う曲は何故か決まっていて、いつも、映画『ボディガード』の主題歌。ホイットニー・ヒューストンが歌うアレである。アレのサビの部分だけを延々、とんでもなくバカでかい声で歌うのである。そりゃもう、明らかに近所から苦情がくるレベルの音量で。……狂ってるんだろうか、この男は? いくらなんでも、エネルギー持て余し過ぎである。そんなにヒマなら、どっかにバイトでも行きゃいいのに。バカが向かいのマンションに住んで2年以上たつが、彼の部屋に「友達らしき人」が来てるのを見たのは、一度だけである。……そりゃそうだろうよ、と私は思う。こんなおかしな奴、友達なんてできねえだろ、とつくづく思ってしまうのである。当然「カノジョの存在」なんてのも、微塵も感じられない。別に、見てくれはデブでもブ男でもないけれど、こんな男がモテるはずがない。

 まあ、このバカに限らず、男でも女でも、「自分を持て余してる時期」「エネルギーが有り余ってしょうがないような時期」というのは「魔の時期」だったりする。私も過去に、何度かそんな時期を経験している。養う家族や、面倒見なきゃいけないペットもいなくて、自由だけが有り余ってると、頭の中はもう、自分の事だけででパンパン。そんな時期が長引くと、なんだかもう、自分の面倒ばかり見るのにもいいかげん飽きてきて、「子ども欲しいような気がする」とか、うっかり頭をよぎってしまったりする。自分以外の、別の生き物の面倒を見たくなるのだ。そして、エネルギーが有り余ってるもんだから、過食に走ったり、飲み会の席で酔っぱらって人とケンカとか、やらかしてしまったりするわけだ。「自分と向き合うのは大事」かもしれないが、向き合いすぎるとロクな事にならないので、「いいトシこいたら、自分の事は、ほっとくぐらいが丁度いいのではないか」と、私は思っている。

 ところで先月、このバカの家に、女がいてビックリした。普通の、なんていうかまあ、女子大生とかOL風の女である。女はちゃぶ台の上にポーチを置いて、化粧をしている。その姿を、バカが側で見守っている。そして、その夜、バカがベランダで洗濯物を干していたのだが、なんとその中に「女物の下着」が。バカがイソイソと、ブラジャーを干しているのである。そうか、やはりそういう関係になってたのか……私はバカに気付かれないように、市原悦子みたいにコッソリと、窓の隙間から覗き見をして、昼間の女の事を思い出していた。男の前で何の躊躇もなく化粧が出来るという事は、「……きっと一線を超えたんだろうな」と睨んでいたが、やはりその通りだったようである。

 そしておとといの夜。「ちょっとちょっと!!」と、夫が(家政婦紹介所の)野村昭子のように、うわずった声で茶の間に入って来た。

「向かいのバカが、カーテン開けっ放しで女とイチャついてるよ!!」
「えええ!!??」

 一瞬覗きに行こうかと思ったが、やめた。なんだかこれ以上、市原悦子化するのもどうかと思ったのである。

「なんかさ、一応、服着てるんだけど、体ピタ~~っとくっつけてさ!!」
「だから、ヤレる相手ができて、うれしくて仕方がないんだろ!!」

 カノジョができたという事で、バカのその「浮かれっぷり」が、なんだか手に取るように伝わってくる。窓から丸見え状態でイチャつくのは、女っ気のなかった生活からくる、
ある意味「リバウンド」のようなものだろうか? 一体どれだけ関係を保てるのか見ものだが、まあ所詮は「バカ」である。冬が到来する頃には、「こんなバカとは付き合ってらんない!」と、女に愛想を尽かされるのがオチではないか?

 バカの部屋から夜中にまた「ホイットニー」を歌う怒声が流れてきたら、それはきっと「女と別れた」という合図になるのかもしれない。

最終更新:2019/05/21 16:27
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