女から自由になったババアたちが、「婦人公論」で説く幸せな生き方
書店で今号の「婦人公論」(中央公論新社)を見かけたら、まず57ページを開いてください。すごいです、迫力あります、瀬戸内寂聴×美輪明宏×藤原竜也のスリーショット。じっと見ていると“何か”が発せられているような気がします。写真を見てこんな気持ちになったのは、小学生の時に見た心霊写真集以来です。切り取って壁に貼っておけば魔除けになりそう。妊婦さんは安産祈願に、受験生は合格祈願に、玄関に貼ってピッキング防止に、ぜひいかがでしょうか。
で、なぜこの3人なのかというと、誕生日が同じ5月15日なのだそうです(寂聴90歳、美輪77歳、藤原30歳)。ただそれだけ。それだけで鼎談をしているのです。当方の調べによると、美川憲一、大森うたえもん、井上康生、南明奈も同じ5月15日生まれ。トランプに例えれば、寂聴と美輪がジョーカー、これさえ固めれば、藤原を美川だろうがデスブログの旦那だろうが、どの札に入れ替えても勝てそうです。ほかの雑誌がやれば完全にネタになってしまいますが、「婦人公論」だと前世から約束されていたように見える奇跡の6ページ。では、さっそく見てみましょう。
<トピック>
◎特集「幸せな老後を迎えたい」
◎瀬戸内寂聴×美輪明宏×藤原竜也 われら、揃って“反骨の日”生まれ
◎谷ナオミ 明日死んでも、まったく後悔ありません
■誰も止められない90歳と77歳の暴走
鼎談の「われら、揃って“反骨の日”生まれ」というタイトルは、5・15事件にちなんでいるそうです。序盤は藤原いじり。「ハンサムですがすがしいけど、30代ならもうちょっとセクシーになってほしいわ」「もうご結婚なさってるの?」「結婚すればいいじゃない」と、上司だったら完全にセクハラとなる発言を繰り出す寂聴に、「結婚式がなんのためにあるのかというと、あれは自由との告別式よ」と結婚について経験したかのように熱く語り出したり、「あるとき、三島由紀夫さんがわたくしに……」「そしたら三島さんたらね……」と乙女の古漬けみたいな話をしたりする美輪。案の定飛ばしています。
たまには「『世界と自分』について考えないと、人は成長しない」(寂聴)とイイ話を挟みつつ、「私、手相と耳相の勉強をしたからわかるのだけど、藤原さんの耳は、頭がいい人の耳なの」(寂聴)と突然振り切れる。行きつ戻りつ、3歩進んで3.5歩下がり、老婆2人の会話はとってもフリーダム! 藤原は始めから終わりまで押されっぱなしでした。それは自分たちでも自覚があるのか、終盤でこんなことを言っていました。
「自分をまるまる信じられるようになったら、すごいエネルギーが出ますよ」(美輪)
「若い藤原さんよりも、私たち2人のほうがエネルギーが強い感じがするものね」(寂聴)
「強すぎ(笑)。寂聴さん、でもそれは彼が男だからなの。わたくしたちは女だから。女で弱い人なんか、この世にひとりもいませんよ」(美輪)
いやいや、男だから女だからという問題じゃありません! 寂聴と美輪くらいになると性別は完全に超えているように思います。実際、誰もこの2人を“女”と思っていませんから! 誰に媚びることもなく、自分の言いたいことを言う。男目線、女目線を超越した、完全に自由な第三の性。おそらくその名は……BBA。よく「ババアは女を捨てている」と嘲る男性女性がいますが、それは「女を捨てた」のではなく、「女から自由になった」のです。この2人の発言を見ていると、そう思わずにいられませんでした。
■特集でも素敵なババアが登場
特集は「幸せな老後を迎えたい」。筆者38歳、いまだ“幸せ”の意味もわからないのに、その上、“幸せ”な“老後”ですからね。まったく見当もつかないテーマです。もちろん「婦人公論」先輩も読者のそんな気持ちはお見通し。「幸せとは何ぞや」「老いとは何ぞや」「不安とは何ぞや」というぼんやりした問題を読者に考えさせるきっかけを与えることが、この特集のキモになっているようです。
特集のはじめは、小島慶子(40歳)が聞き手となっているインタビュー「曽野綾子さん、老いの不安とどう向き合えばいいですか?」。作家・曽野綾子は80歳。うつ状態や目の病気などを乗り越え「私の自由な人生は50代から始まった」と言い、「(老いることで)いろいろ失ったり、目減りしたり、劣化したりしますよ。でも、それがイコール不幸だと、どうして考えるのかしら」「人生の半分は自分のせいですけど、残りの半分は神様のせいです。気を付けるべきところは気を付け、備えるべきところは備えたら、そのうえで起こったことはすべて必然なんでしょう」と80歳の境地を語っていました。
上野千鶴子(64歳)×香山リカ(52歳)の対談「おひとりさまの最期に、希望が見えてきた」も、対談とは言いながら結果的に年下の香山が上野に教えを乞うという形になっていました。上野は「最後まで自分の望むように暮らすためには、子どもがいなくて本当によかったと思います」「楽しむためには健康でなければ、と思いがちですが、そんなことはないですよ」と、“幸せな老い”の一般的な思い込みをくつがえすような発言を次々に展開していました。
「婦人公論」は、「こうあらねばならない」という具体的なロールモデルを読者に押しつけることがあまりありません(セックス特集以外)。多くの女性誌は、タレントやモデルを仮想カリスマと仕立て、「憧れの○○さんのライフスタイル」として提案することが多いですよね。でも、「婦人公論」にはそれがないんです。瀬戸内寂聴にも美輪明宏にも、曽野綾子にも上野千鶴子にも憧れは感じません。憧れないけれども、みんな楽しそうに見えます。読者に「こうあらねばならない」という窮屈感や焦燥感を与えず、そこから外れていることの劣等感も抱かせず、いろんな“幸せ”の形を見せてくれています。
曽野綾子は、生き方を料理に見立て、「手持ちのもので闘うこと」が大切なテクニックだと説いていました。「今さら変えられやしないのだから、『だらしがないヤツ』も『神経質な人』も『のんびり屋さん』も、その性格を武器にして闘えばいい」と。美輪明宏は「瀬戸内さんもわたくしも、手作りの人生を送ってきたわね」と総括しています。特集とは別に掲載されている60~70年代に一世を風靡したポルノ女優、谷ナオミ(63歳)のインタビューで、谷は「人生はおのれ次第だ」と語っていました。
夫婦で旅行したり、家庭菜園を楽しんだり、孫が誕生日を祝ってくれたり、もちろんそれも「幸せな老後」の1つの形かもしれません。でも、そうでなくてもいい。人にはそれぞれの幸せの形があります。そうやって言ってしまうとバカバカしいほどありきたりなんですが、誰も通ったことのない道を切り開き、苦しんで楽しんで、自由に生きてきたババアたちが語るとまったく重みが違います。年寄りを「G.G(ジージー)」と呼ぼうなんて、広告代理店のドヤ顔が透けて見えるCMが流れていますが、ジージーと呼ばれても幸せにはなれません。幸せはババアが知っている。ババアの話をよく聞いて、筆者も将来自由なババアになりたいと思いました。
(亀井百合子)