老いの先に訪れる矛盾の中の幸福……『ペコロスの母に会いに行く』の福音
――幼いころに夢中になって読んでいた少女まんが。一時期離れてしまったがゆえに、今さら読むべき作品すら分からないまんが難民たちに、女子まんが研究家・小田真琴が”正しき女子まんが道”を指南します!
<今回紹介する女子まんが>
岡野雄一
『ペコロスの母に会いに行く』全1巻
西日本新聞社 1260円
読む前からいい予感しかしない本っていう存在がごく稀にありまして、たとえば最近ではこの本がまさにそれでした。タイトルにある「ペコロス」とは著者・岡野雄一先生のペンネーム。本書は岡野先生が認知症の母の日常を、その半生を交えつつ描いたノンフィクション作品です。タウン誌などに断片的に描かれ続けたものが自費出版され、それが先生の地元・長崎市の書店で話題となり、このたび遂に商業出版されました。
母・みつえさんは89歳。夫(つまり著者の父)・さとるさんの死後に認知症の症状があらわれ始め、脳梗塞で倒れたのを契機にグループホームへ入所しました。そのみつえさんの元へ、とうに亡くなったはずの夫がやって来ると言うのです。「さっき、父ちゃんが訪ねて来なったばい」とみつえさん。のみならず夫は「ひとこと謝りとうして来ました」「生前は、苦労のかけどおしですまん事でした」と、土下座したようなのです。
重度のアルコール中毒であった夫に、若き日のみつえさんは悩まされ続けました。つらいことも数多くあったでしょうに、それでもみつえさんは、まるで恋する少女のように夫の幻影を迎え入れるのです。そうしてみつえさんはこう言います。「おいしか酒ば用意して待っとりますけん」と。
酒癖の悪さは「もう忘れた」とみつえさん。「良か人やった」「ばってん…弱か人やった」とも。忘れること。許すこと。愛すること。「歳月は誰の上にも平等に吹き過ぎる」「もちろん母の上にも--(中略)歳月はやはり平等に吹いているんだ」「母の中で風はゆっくりゆっくり時を撹拌する」と著者が表現するみつえさんの心象風景こそが、このマンガの真骨頂です。
ある冬の夜にやって来た夫に「外は冷んたかったでしょー」と声をかけ、グループホームのスタッフがマニキュアをつけてくれた自らの手を得意げに差し出すみつえさん。夜中にやって来た夫には、狭いベッドに「こけ来んですか」「狭うしてすんましぇんね」と招き入れ、「手のこじけて(しびれて)痛うして、たまらんとです」「いっときこんままさすっといてください」「ああ気持ちん良か」と甘えるみつえさん。
私たちは誰かを愛したいのです。好き好んで憎んだり、恨んだりしているわけではないのです。できることなら素直に愛していたい、けれど仕事であったり、生活であったり、経済的・現実的な諸問題がそれを困難にします。しかしみつえさんには、それが無条件で許される奇跡のような時間が、人生の終着駅近くで訪れました。なんという業、なんという福音。解説の伊藤比呂美さんが言う「生きることの切なさ」に、わたしは涙が止まりませんでした。
本書は「介護」のマンガというよりも、みつえさんという1人の女性の物語であります。彼女の身体に降り積もり、そしてやさしく包み込まれた記憶たち。長崎という土地の、昭和という時代の、戦争と原爆の、子どもたちの、愛しい人の記憶。それらが時系列の鎖から解き放たれ、自在に浮かんでは消え、価値観は転覆し、そして大いなる生の肯定へと至ります。悲しいけど幸せ。切ないけどうれしい。綺麗事でなしに、矛盾の中にすら人は生の喜びを見出すことができるのです。その生命のたくましさたるや。
認知症が進行しゆく中、寄り添い続けた著者が描くみつえさんの姿は、幸福感に溢れています。老いに対するその暖かな眼差しは、スペインのマンガ家、パコ・ロカ先生の『皺』(小学館集英社プロダクション)ともリンクすることでしょう。こちらもぜひご併読ください。
小田真琴(おだ・まこと)
1977年生まれ。少女マンガ(特に『ガラスの仮面』)をこよなく愛する32歳。自宅の6畳間にはIKEAで購入した本棚14棹が所狭しと並び、その8割が少女マンガで埋め尽くされている(しかも作家名50音順に並べられている)。もっとも敬愛するマンガ家はくらもちふさこ先生。