鬼母に奴隷扱い……「婦人公論」で輝くのは、安藤優子より読者手記だ!
結婚どうしよう、仕事どうしよう、出産どうしよう、子育てどうしよう。不安と悩みでいっぱいのみなさん、お父さん・お母さんの介護のことは考えていますか。まだ先のこととお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、晩婚晩産の時代、子育てが一段落したかと思ったら、すぐに親の介護が始まるという可能性も低くはありません。場合によっては、自分の親だけでなく夫の親、つまり義父母の介護をしなければならないこともあります。エンドレスおむつ替えですよ。
頭では「家族として当然」「人として必要なこと」と自分を納得させようとしてみても、ぶっちゃけこれが“私の一生”なのかと思うと、いいか悪いかは別として、自分だけのために生きる時間がものすごく少ないことがわかりますよね。だから若い人も「介護なんて先の話」なんて、余裕をこいていられません。……ってことに、「婦人公論」8月22日号を読んで気づいたんです。みなさんも特集「親の老いは待ってくれない」を読んで、介護問題について考えてみませんか?
<トピック>
◎特集「親の老いは待ってくれない」
◎婦人公論サスペンス劇場<前編>「母という棘の道」
◎イベントレポート&短歌 嵐
■介護のために“自分らしさ”をあきめられますか
特集の始めに、ニュースキャスターの安藤優子が精神科医の和田秀樹と対談しています。タイトルは「子どもにできる介護には限界があります」。安藤氏は認知症の母をホームに入所させようとしたのですが、嫌がる母親を見て一度は自分が引き取ることを考えたそうです。しかし、「うちに来ているお手伝いさん」が、自宅介護の厳しさを主張し反対、そこでハッと我に返り、入所を決意したとのこと。
確かにまあ、葛藤はあったと思います。思いますけど~、正直なところ「うちに来ているお手伝いさん」のくだりで、瞬間ササーッと引いてしまったプアーウーマンの筆者でした。介護においては、子どもの肉体的・精神的負担だけでなく、経済的負担も避けて通れない問題です。常にご尊顔に強烈なライトが当たって輝いている人気キャスターと、冷房をケチったために皮脂で輝いているウチら庶民とでは悩む方向が違ってくるのかな、と思っちゃうんですよね。
和田氏によれば、2006年段階で「介護離職」が年間約15万人いるそうです。「保育園の待機児童数が2万6000人ですから、その6倍から8倍の数が介護のために仕事を辞めているのに、なぜもっと話題にならないのか。女性が安心して一生働ける社会にならないと、日本はますます経済的にも先細りしていくはずです」と和田氏は語っていました。ちなみに、筆者が調べたところによると、上記の介護離職者のうち男性は2万5,000人。比率として女性が多いのは確かですが、だからといって男性が離職すれば解決するって話ではありません。和田氏が「なぜもっと話題にならないのか」と憤慨している通り、この「介護か、仕事か」という点をもう少し掘り下げてほしかったです。
ママになっても自分らしく仕事で輝きたいというあなた、介護者になっても自分らしく仕事で輝ける自信はありますか。それが、実の親でなく義父母でも? 介護によって自分のキャリアや自分らしい人生をあきらめたくないならば、安藤氏のようにバリバリ稼ぐしかないかもしれません。うんと稼ぎたいなら、場合によっては結婚や出産をあきらめないといけないかもしれない。結婚や出産をあきらめたら、自分の老後はどうするかという問題も出てくる。悩みスパイラルですよ! これは、表紙の冨永愛のインタビューで、塩谷瞬の二股騒動が一切ナシになっていたということよりも、重大なことです!
■いつかは投稿してみたいけど……
まあそうは言っても、人生はいくら悩んで計画を立てても思い通りにはいきませんよね。総じて、苦労と後悔と反省ばかりしかない。そんな時にどうすればいいか。その答えを、「婦人公論」はちゃんと用意しています。「書く」のです。「婦人公論」は、読む楽しみだけでなく、書く楽しみを読者に与えています。年に1度の恒例企画「読者ノンフィクション傑作選」です。
今年のテーマは「婦人公論サスペンス劇場 母という棘の道」。どの作品もタイトルからしてすごいです。「認知症になった人格障害の母は妄想と罵倒が止まらない『鬼』」、「発達障害を抱える息子たち。『クソババア』と今日も言われて」などなど。
内容もタイトルを裏切らず激しいものばかり。「妹に『あんた』と呼ばれ馬鹿にされ、母からは奴隷扱い。(中略)ある時、あまりにめちゃくちゃなことを言って私を罵倒するので、とうとう耐えきれずガクガク痙攣して、嘔吐してしまいました。それでも母は、そのまま30分近く罵り続け、最後に『お前、神様がついたんだっちゃ』と言う始末」(「認知症になった人格障害の母は妄想と罵倒が止まらない『鬼』」より)
どの投稿作品にも、むきだしになった生身の声、したたる汗、涙を感じます。そもそも手記を書いて「婦人公論」に投稿するという行為そのものが、とても哀しくてとても重い。そこにある“どうしようもなさ”が強い力を持っているように思えます。そしてそんなどうしようもないものを抱えた女性を、「婦人公論」は手を広げて迎えてくれる。「婦人公論」において強烈なライトを浴びて輝いているのは、安藤優子氏のような有名人ではなく、市井の人々なんです。といっても、それはほかのファッション誌のような読モとは違う。例えて言うならば、社会を恨み他人を憎み自分を呪う、女の泥沼から生まれ咲いた蓮のような存在ですかね……。それを読んだところで、魂はちっとも浄化されないんですけれども。泥も寝かせりゃ何か出てくる。少なくともそんな気持ちにはなりました。
(亀井百合子)