「婦人公論」のルポで露見した、“事件を消費したい”という世論の強さ
「婦人公論」7月7日号は全体的に重く暗い雰囲気でした。まず特集からして「節約しても増えないあなたに 貯まる“特効薬”あります」です。そんな薬あるかっつー話ですよ。お金の話題は何を読んでも暗いです。それに加えて、上野千鶴子が連載「ニッポンが変わる、女が変える」で劇作家の永井愛と3.11について語っています。タイトルは「『未来』という言葉がなくなった」です。さらに、5億円を霊能者に奪われた経験を持つ辺見マリのインタビュー「中島知子さん、あなたは必ず復帰できます」や、作家の小池昌代と水村美苗の対談「『ママ、いつ死んでくれるの』と、言わずにいられなかった」も掲載されています。ザッとタイトルを見ただけでも真っ暗です。
<トピック>
◎特集「節約しても増えないあなたに 貯まる“特効薬”あります」
◎ルポ「木嶋佳苗と東電OLが見つめた“同じ風景”」
◎辺見マリ「中島知子さん、あなたはかならず復帰できます」
■犯罪を取り扱うことの難しさ
最も重く感じたのは、犯罪に関する3編の文章です。ひとつめは北原みのり氏による「木嶋佳苗と東電OLが見つめた“同じ風景”」、次は光市母子殺害事件の被害者となった木村弥生さんの母、池田由利子さんのインタビュー「洋さん、お疲れさまでした。あなたの幸せを娘とともに祈ります」、最後に高橋幸春氏による少年死刑囚のルポ「彼らは死をもって罪を償えるのか」、この3編が連続して掲載されています。
北原氏の「木嶋佳苗と東電OL~」は、タイトル通り、北原氏のセールスポイントである“100日間裁判に通い続けた”木嶋佳苗事件に、メディア受けする東電OLの事件を組み合わせた、まるでカツ丼そばセットな内容。その上に、「コギャル」「援助交際」「渋谷」「男社会」「父と娘」などキャッチーな言葉がメガ盛りされ、叙情的で興味を引きやすいルポとなっています。「どうして私は女に生まれちゃったんだろう」と上司の加齢臭にお悩みの貴女にとっては、癒やしのレディースセットとも言えますね。ただし、東電OLについては木嶋佳苗のように裁判ではなく当時の報道が根拠となっており、東スポなどを引用しているので、ややヤジ馬感が漂います。正直なところ、このルポと、かつて東電OLの私生活を扇情的に暴き立てたオジサン週刊誌の記事との違いはわかりませんでした。
というか、個人的にはもう木嶋佳苗と東電OLはお腹いっぱい。女って生きづらいですよね。この腐敗した世界で、こんなことをするために生まれたんじゃないって、鬼束ちひろばりに叫びたくなりますよね。「○○や××を殺してえ」なんてことも思いますよ。思いますけど、思うのと行動するのとではまったく別次元の話ですもん……。それを執拗なまでに“あたし”側に寄せてきて、「二人のセックスとお金と男との向き合い方が、この国の女の、ある一面を象徴するもののように感じられた」「売春は自分を損ねることなく高額なお金を手に入れられる、理想の仕事だったのかもしれない」と妄想することは、事件と当事者の真の姿をゆがめ、事件をこちらの都合のいいように“消費”する後押しになってはいないでしょうか。
もし、北原氏の記事が単独で掲載されていれば、上記のような違和感は抱かなかったかもしれません。しかし、直後に掲載された光市母子殺害事件の遺族、池田由利子さんのインタビューが、あまりに生々しくて、口を無理やりこじあけられて針を飲まされるように辛かったので、申し訳ないとは思いつつ比較せずにはいられませんでした。そばと針は違う。推論と事実もやっぱり違う。傍観者と当事者もまったく違う。池田さんが事件当時の心情や娘と孫を奪われたことの絶望感を語ったインタビューは、全編涙なしには読めませんでした。特に印象に残ったのは、被害者・弥生さんの夫であり表に立って裁判を戦い抜いた本村洋さんについて語った次のくだりです。
「2年前、洋さんは再婚されました。正直に申し上げれば、弥生の夫であった洋さんが新しい伴侶を得たことには、ある部分、複雑な思いがあります。ですが、ずっと1人で過ごすのは寂しいものです。(中略)今後、洋さんには新しい思い出を作りながら楽しく過ごしていただきたい。今まで苦労したぶん、どうしても幸せになってほしい。洋さん、自分のために幸せな人生を歩んでください」
一般の人々は、ニュースでわずかに映る本村さんの姿しか知りません。それでも彼の存在は強烈な印象を与えました。彼に同情し、裁判が終わって「よかった」と我がことのように喜んだ人は多いでしょう。視聴者にとってはハッピーエンドです。しかし、裁判が終わっても本村さんの人生は続くし、池田さんの人生も続きます。今、この瞬間も当事者たちは私たちと同じように仕事をし、家事をし、過去を背負い悩みながら幸せを願って生きています。決して、他人に同情されて妄想されて解釈されてカタルシスを与えるために生きているわけじゃない。
事件に興味を持ち、その時代性や意味を類推してコネコネすることは、私たちが自分自身を慰めるためには必要な作業だと思います。そこは否定しませんし、北原氏のルポに罪はありません。だからこそ、同じ号のこの並びで掲載するのはナシなんじゃないかな……と思いました。要するに編集サイドへの違和感ですね。この構成じゃ、作品が惨殺されてますよ!
■えみりも苦労したんだね
「拝み屋」という霊能者とその仲間に傾倒し、「神のお告げが聞こえる」「汚いお金はギャンブルで使って浄化しなくてはいけない」という言葉のまま、自宅を含む全財産4億円を奪われて1億円の借金を負った過去がある辺見マリは、インタビューで中島知子について次のように語っています。
「中島さんの報道を知って、えみりにも、『お母さんのときに似ているね』と言われました。芸能界は華やかな場所で多くの人に囲まれているようでも、実は孤独な仕事。不安を抱えている人は多いのでしょう」
今号の表紙を飾った藤山直美は、インタビューで本格的に役者をしようと思ったのは40歳からだと明かしています。なぜなら、それは30代は子どもを産める可能性があるから。「ええ人に巡り逢えたらまだ産めるしなあ」と思い、仕事とは別に「もう一つの結婚という扉」も置いておいたそう。それが40代になったら吹っ切れた、と。
「自分の心を振り返ったとき、人には、自分にしかわからない自分の『哀れ』っていうものが必ずあると思うんですよ。みんな誰もが、哀れなところを抱えている。(中略)あって当たり前、なかったらおかしなるよ。陰影がつくのが人生です」
「人に絶対見せない自分にしかわからない哀れというものがあるとしたら、お客さんがその私の哀れに共鳴してくれはったらいいな」
苦しみや哀れを抱えつつも、他人に笑顔を振りまくことを生業とする女性2人の言葉を読みながら、哀れの行き着く先が人殺しなら、逆にむしろ難しいことはないのかもしれないと不謹慎ながら思ってしまいました。本当に辛いことは、顔で笑って心で歯を食いしばりながら生きていくこと。そんなことを「婦人公論」は教えてくれているようです。「婦人公論」は女の教科書。「女は抑圧されている!」とムカついている貴女のためのリアル女性誌ですよ。
(亀井百合子)