熱湯をかけられ、首にガラスが刺さり……妻からDVを受けたセレブの悲愴
今季2勝を挙げ、完全復帰に向けて強い意欲を見せているタイガー・ウッズ。激しいバッシングを受けた3年前の不倫騒動も、すっかり過去のものになっている。元妻のエリン・ノルデグレンも、ビキニでリラックスする姿がパパラッチされセクシーと騒がれているが、騒動当時は感情的で暴力的な女だと言われたものだった。エレンはタイガーの不倫を知り、大激怒。ゴルフ・クラブで彼を殴ろうとし、逃げようと車に乗り込んだ彼を追いかけ、車の窓ガラスを叩き割った。動揺したタイガーは自損事故を起こし、これが不倫・離婚騒動の始まりとなったのである。
エレンのような、妻の夫に対する暴力(DV)は、深く愛するがゆえの嫉妬心からくることが多いようだ。そして、タイガーと同じように妻からDVを受けているセレブは、少なくはないとされている。今回は、そんな愛情深く情熱的な妻を持ったセレブの中から、あまりにも衝撃的なDVを受けたセレブを紹介したい。
■第5位 ボビー・ブラウン
今年2月に急死したホイットニー・ヒューストンは、生前のインタビューで「ボビー・ブラウンとの離婚を決意したのは、顔にツバを吐かれたのがきっかけ」と告白。ボビーはアルコールやクスリをキメると大暴れをするとも明かしたのだが、1999年のAP通信のインタビューでは、こう激白している。
「信じられないでしょうけれど、私たち夫婦の間で、叩くのは私なのよ。彼が手を上げることはないの。一度もね。手を上げるのは決まって私なの。私たちはお互いを激しく、愛し合っている。クレイジーなほど深く、深く、愛し合っているの。そう、愛のために戦っているのよ」
しかし、03年に警察が通報を受けた時、頬にアザをつくり唇を切っていたのはホイットニーの方で、その後ボビーは「自分がやった」と出頭。クスリでハイになりながら取っ組み合いのけんかをしたに違いないと、世間から白い目で見られるハメになった。
■第4位 ライオネル・リッチー
ニコール・リッチーの養父としても知られるライオネルは、大学時代の恋人ブレンダ・ハーヴェイとの純愛を貫き、1975年に結婚。しかし、彼はアルバム『Dancing on The Ceiling』が大ヒットした86年から愛人をつくり、88年に夫婦は別居生活に突入。嫉妬に狂ったブレンダは2人の行動を調べ上げた。そして、ビバリー・ヒルズ・ホテルにいることを突き止め、「ルーム・サービスをお持ちしました」と偽って不倫現場に乗り込んだのである。
ブレンダが乗り込んだ時、ライオネルと愛人は一戦交えた後で、全裸姿だったとウワサされているが、恐らくそれに近い状態だったのだろう。ブレンダは2人に力いっぱい激しい暴力を振るい、かなりの大ケガを負わせているからだ。結果、ブレンダはDV罪、侵入罪、暴行罪、器物損壊罪で現行犯逮捕され、長期にわたる泥沼離婚裁判に突入。ライオネルは93年に慰謝料25億円を払い、やっと離婚成立にこぎ着けた。ちなみにこの時の愛人とライオネルは94年に結婚しており、一男一女をもうけたが、04年に離婚している。
■第3位 クリスチャン・スレーター
若かりし頃はサッパリとした正統派美男子で人気を集めた、俳優のクリスチャン・スレーター。彼は2000年にテレビプロデューサーのライアン・ハドンと結婚しているのだが、カッとなった彼女から暴力を振るわれ、警察沙汰となっている。
03年11月朝7時。2人は滞在していたラスベガスのハードロック・ホテル・カジノで、口論になってしまった。カッとなったライアンは、クリスチャン目がけてグラスを思いっきり投げつけたのだが、見事、首に命中。首に当たったグラスは割れてグッサリと刺さってしまい、大出血してしまった。病院に搬送されたクリスチャンは、なんと20針も縫われ、ライアンはホテル従業員の通報を受けて駆けつけた警察官にDV罪で逮捕された。その後、彼女は「ケガをさせようとなんて思っていなかった。わざとじゃない」と主張。「グラスに入った水をかけようとしたら、手から滑り、グラスが飛んでしまった」と弁解。2人の幼い子どもたちがいることもあり、クリスチャンも告訴を取り下げ、復縁への道を選んだ。
しかし、2人は05年に別居。クリスチャンが舞台に出演するため、一家でロンドンに移住したのだが、ライアンは異国の暮らしになじめず、子どもたちを連れて帰国してしまったのだ。その後、離婚している。
■第2位 ジャッキー・ジャクソン
ジャクソン・ファミリーの長男で、マイケルらと共にジャクソン5として一世を風靡したジャッキー・ジャクソン。女性にモテモテだった彼は、23歳で細身の美女イーニッドと結婚した。結婚後もジャッキーは女癖が悪く、イーニッドは散々泣かされたと伝えられている。
ジャッキーは80年代前半には歌手のポーラ・アブドゥルと不倫関係に陥っており、これにはジャクソン弟たちの妻も憤りを感じていた。そして、84年のある晩のこと。2人がデートしているという情報を得た弟マーロンの妻は、イーニッドに電話で報告。嫉妬で怒り狂ったイーニッドは、すぐに現場に乗り込み、ポーラを車から引きずり出し、髪の毛をわしづかみにしてシアターのパーキング内を引きずり回した。ジャッキーは必死で止めに入り、こともあろうかポーラをかばったため、イーニッドの怒りは爆発。車に乗り、ポーラを介抱しているジャッキー目がけて突進。彼の足をひき、骨折させてしまったのだった。
このケガにより、ジャッキーは予定されていたジャクソン5のステージを急遽休むハメに。イーニッドとは、2人の子どもたちのため、そして敬虔なるクリスチャンの家族から反対されたため、夫婦としてやり直すことにしたものの、結局この事件の3年後に離婚している。
■第1位 アル・グリーン
「Let’s Stay Together」が大ヒットし、音楽誌「ローリング・ストーン」の歴史上最も偉大なシンガーの1人に選ばれたアル・グリーン。彼は人気絶頂の1974年、交際していた女性から身も毛のよだつような暴行を受けている。結婚したいと切望する彼女に「君とは結婚できない」と言ってしまい、大爆発させてしまったのだ。彼女の怒りが一向に収まらないため、アルは「シャワーを浴びてくる」とバスルームに入り、この間に彼女の気持ちが落ち着くことを期待したのだが、直後、恐ろしい目に遭うことに。怒りの沸騰点に達していた彼女は、なんと、トウモロコシを茹でていた鍋を両手に持ってバスルームに入り、煮えたぎるお湯ごとアルにぶっかけたのだ。
全裸だったアルは熱湯をまともに浴びてしまい、背中、腹部、腕に3度熱傷を負い入院。長期間にわたり、つらい治療を受けることになってしまった。彼女はアルにお湯をかけた後、彼のピストルで自殺。バッグから「あなたを信じるたび、あなたにがっかりさせられる」とつづったメモが発見され、アルは「すべては自分の責任」だと大きなショックを受け、打ちひしがれた。ちなみに、この女性は彼との結婚を迫っていたものの、実は既婚者であり、精神状態もかなり不安定だったと推測されている。アルは、この事件を境に心を入れ替え牧師になり、ゴスペルに身を捧げるようになった。
アメリカ合衆国第42代大統領のビル・クリントンも、妻ヒラリーから頻繁にDVを受けていると伝記本『Hillary’s Choice』に書かれている。1993年、ヒラリーが余命わずかな父を見舞うためアーカンソーへ行っている間に、ビルの長年の支持者である女優バーブラ・ストライサンドがホワイトハウスに泊まったことを知り、大激怒。ビルの顔を引っかいたとされており、確かにヒラリーが戻った翌朝、頬にかなりの引っかき傷を作っていたのだが、あえて誰も触れようとはしなかった。バーブラが資金集めに必要な人物だったため許したそうだが、彼女にもわかるメッセージを送らずにはいられなかったようだ。なお、モニカ・ルインスキーとのスキャンダル勃発時にも激しく殴りまくったと書かれている。