サイゾーウーマン海外ルームメイトだった意外なセレブ 海外 意外な友情の原点はココ! 中には副大統領まで!? 意外な組み合わせが多い、ルームメイトだったセレブ 2012/05/28 11:45 マイケル・ダグラスランキング 今、マイケル・ダグラスはみだれ髪な妻と住んでます アメリカでは親元から離れて学ぶ大学時代を、安い学生寮でルームシェアしながら過ごす者がほとんど。また、演劇の本場ニューヨークのマンハッタンや、映画の都ハリウッドの家賃はべらぼうに高く、少しでも家賃を浮かせるためルームシェアを選択するという。 同じ夢を持つ仲間と生活を共にし、励まし、刺激し合うというルームシェアの経験は、決してお金では買えないもの。お互いを高め合うことで、ルームシェアした者同士で成功を手にするというケースも中にはあるのである。 今回は、あまり知られていない「無名時代ルームメイトだったセレブたち」をご紹介したい。 ■ダスティン・ホフマン&ジーン・ハックマン&ロバート・デュバル ニューヨークのアクターズ・スタジオで演劇を学んでいたダスティン・ホフマン、ジーン・ハックマン、そして、ロバート・デュバル。30歳を過ぎて俳優を志したジーンは、マンハッタンの狭いアパートに住んでいたのだが、そこに7歳年下のダスティンが転がり込む形で、同居生活がスタートした。アパートはキッチンとトイレが同じスペースにあり、朝食を作るジーンの横で、ダスティンが大便するというのが、毎朝の恒例行事に。我慢できなくなったジーンは、親友のロバートに「数日でいいから頼む」とダスティンを押し付けた。 数日は数週間に、数カ月になり、ロバートとダスティンは数年にわたりルームメイトとして生活することに。2人がスタジオに入ったのは「女に子にもてたいから」という不純な理由であり、そんな共通点から意外と気が合ったのだという。また、ジーンを含めた3人で生活していたこともあったとも伝えられている。 「ダスティンは最悪のルームメイトだった」と振り返っているジーンだが、そんな悪夢の日々から約40年後の2003年、法廷サスペンス映画『ニューオーリンズ・トライアル』で共演。大御所スターの共演として大きな話題を振りまいた。 ■マイケル・ダグラス&ダニー・デヴィート ハリウッドを代表する大御所個性派俳優マイケル・ダグラスとダニー・デヴィートも、その昔、ルームメイトだった。1944年生まれで同い年だった2人は、俳優として駆け出しだった無名時代の60年代にニューヨークのアッパーウエストサイド、ウエスト89thストリートにあるアパートをシェアしていたのである。 08年のイスラエル映画祭に出席した2人は、昔話を披露。ダニーが「洗濯物はマイケルが担当になっていたんだ」と告白したところにやって来たマイケルは「オレがだらしなかったとか言ってなかったかい?」「ダニーだって、かなりだらしなかったんだぜ」と言い、2人は爆笑。「いやいや、ダニー以上のルームメイトはいない。彼は最高だったね」「駆け出しの役者だったマイケルとオレは、演技をすることでお金をもらえるようになって、ノリに乗っていたんだ。オレたちは本当に魔法のような時代を一緒に過ごしたのさ」と懐かしそうに語った。 マイケルは続けて、「ダニーはすでにリー(・パールマン、82年に結婚)と出会ってて、長い時間を一緒に過ごしていた」とコメント。「オレ? さっき、魔法のような時代だって言ったろ? 常に“お取り込み中につき入室禁止”って感じだったねぇ」と、ダニーはニヤッと笑いながら告白した。 ■ロビン・ウィリアムズ&クリストファー・リーヴ 世界中に名が知られている俳優のロビン・ウィリアムズとクリストファー・リーヴが出会ったのは1973年のこと。彼らはこの年、ニューヨークの名門ジュリアード学院のアドバンス・プログラムへの入学が認められた、たった2人の生徒だった。学校の手配でルームメイトになったロビンとクリストファーは、背格好も性格も何もかも対照的であったものの、すぐに打ち解け合い、無二の親友となった。 ロビンは76年に学院を去ってキャリアをスタートさせたのだが、その際、「これからもずっと友人として連絡を取り続けよう」「どちらかがハリウッドで成功したら、もう1人を助けよう」と固く約束したとのこと。苦しい時代もあったが、80年代には2人とも大スターへと成長。お互いの成功と幸せを喜び合い、家庭を持った後も、家族ぐるみでの交流を続けた。 クリストファーは95年に乗馬競走中、転落し脊髄損傷を起こし、首から下が麻痺してしまうという不幸に見舞われた。ロビンは彼の病室に飛んで行き、保険でカバーできない分は自分が払うから、最高の治療を受けてくれと頼んだという。また、2人きりになった時、苦悩するクリストファーの気持ちを察したロビンは、もし万が一のことがあったら、自分がクリストファーの妻ディナと息子ウィルの面倒を見ると約束。クリストファーは安堵の表情を浮かべ、その後、治療とリハビリに専念するようになったと伝えられている。 慈善家としても知られるロビンは、クリストファーが設立した麻痺資源センターの活動にも積極的に参加。クリストファーは04年10月に心不全で、妻のディナも06年に肺がんのため死去してしまったのだが、遺された当時13歳のウィルの後見人にロビンは名乗りを上げた。そして、立派な大人に育てると天国の大親友に誓ったのだった。 ■トミー・リー・ジョーンズ&アル・ゴア 映画『メン・イン・ブラック』シリーズでおなじみのトミー・リー・ジョーンズは、努力家の秀才としても知られており、ハーバード大学英米文学部を卒業している。アメリカの大学寮に入る新入生は、ランダムに選ばれた学生と2人1組になり部屋をシェアすることになっている。ルームメイトと馬が合わなくても9カ月間は我慢せねばならず、2年生になってから希望する友達との同室をリクエストできるようになるというルールを持つ大学が大半だ。1965年にハーバード大学に入学したトミーのルームメイトになったのは、後に、ビル・クリントン政権の副大統領を務めたアル・ゴアであった。 タイプの異なるトミーとアルだったが、たちまち意気投合。ビリヤードや射撃、カヌーなどのスポーツに興じたり、毎週のように『スタートレック』を見たり、いかにして彼女をゲットできるかを話し合うなど、勉強以外のことも何でも一緒にやったという。女の子にモテたいがため、ボストン地区の女子大学生たちの前でカントリー・ミュージックを演奏したこともあったそうだ。アルはインタビューで「ひどい音だったけどね。本当、いくら頑張っても、なかなか彼女ができなかったんだよ。私は幸いテッパー(70年に結婚)と出会うことができたけれどね。トミーとは互いの結婚式にも出席したほど仲良しなんだ」と語っている。 トミーもインタビューで「自分が大学生の頃、両親は海外に住んでいた。だから、休暇の時は、よくテネシーのアルの実家で過ごさせてもらったんだ」と告白。大自然の中を、2人で遊びまくったと、懐かしそうに振り返っている。また、「アルは自分がアメリカという国をどれほど信じているのか、また、どうすればよりよい国になれるのかを、熱く語っていた」ともコメント。アルが大統領選に出馬した時は、全力で応援し話題となった。 ほかにも駆け出し俳優だった80年代に3年間ルームシェアをしたキーファー・サザーランドとロバート・ダウニー・Jr、共に喜劇俳優を目指していた頃にルームメイトだった『素敵な人生の終り方』(09)のジャド・アパトー監督とアダム・サンドラー。ベン・アフレックとマット・デイモンも、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97)の脚本執筆のため、ヴェネツィアのビーチハウスをシェアしていた。 リンジー・ローハンもアイドル時代にディズニー女優のレイヴン・シモーネと意気投合して一緒にマンションを借りたことがある。直後から忙しくなってしまったリンジーが、実際にそのマンションで暮らした時間はほんのわずかだったが、レイヴンは「高級な靴をたくさん持ってた。服も大量にあったわ~」と回想。本当のルームメイトになりたかったと残念がっていた。 『このたび男装女子と寮でルームメイトになりました』 どんなだ!! 【この記事を読んだ人はこんな記事も読んでます】 ・パクリ? インスピレーション? マネされて口撃し合うセレブたち ・入手困難なご褒美!? 大金稼ぐスポーツ選手が欲しがる「トロフィーワイフ」 ・結婚前夜に性的虐待まで……海外セレブが語る毒親の実態 最終更新:2012/05/28 11:45 次の記事 『ビッチの触り方』トークショーレポ! >