死刑という“現実”を凌駕した女……裁かれたのは木嶋佳苗の人格か
世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。
[第4回]
首都圏 婚活連続不審死事件
(前回はこちら)
4月13日、さいたま地裁は木嶋佳苗被告に対し3件の殺人及び7件の詐欺(未遂)、窃盗全ての罪状を認めた上で、求刑通り死刑を言い渡した。
今回の木嶋事件はその容姿や言動、木嶋の特異な価値観やパーソナリティが大きな注目を浴びた。だが、それと司法手続きにおける判決とは全く別ものだ。そもそも動機もほとんど解明されたとはいえず、また直接的な証拠もない。一審判決はしかし、殺人を含む全ての事件が木嶋の手によるものだと断じたのだ。
■法廷で裁かれたものは罪だったのか
まず寺田隆夫(当時53)案件では自殺する動機はなく、自殺目的で多数の練炭を用意するのは不自然。鍵も1本なくなっていた。そして木嶋は、室内にあった練炭と同じメーカー、同じ個数を購入していた。また寺田と最後に会ったのも木嶋で、鍵を手にする機会もあった。殺害は木嶋以外にあり得ないと裁判所は断じた。
しかし、木嶋が練炭を寺田宅に持ち込んだ証拠も、鍵を所持していた証拠も、そして練炭に火をつけたという証拠はない。木嶋がやったと類推されるだけだ。
安藤健三(当時80)案件も、木嶋が安藤を睡眠薬で眠らせた後、火災が起こった。その際、部屋に練炭が置かれていた。その練炭は木嶋が近々に入手し、直前まで安藤宅にいて、また木嶋は安藤と金銭トラブルもあり、それを逃れるために殺害しようとしても不思議ではないとされた。
だが、睡眠薬を木嶋が飲ませた証拠はなく、また練炭と火災との因果関係は不明である。そもそも練炭の存在にしても、当時の火災現場で撮られた写真(しかも一方向から撮られたもののみ)のみがその証拠とされた。
大出嘉之(当時41)についても、自殺の動機がない。遺体から検出された睡眠薬や、車内にあった練炭が木嶋が所持していたものと同じで、車の鍵も見つかっていない。最後まで一緒にいたのが木嶋であることなどの理由から木嶋の犯行だとされた。
しかし車の鍵は未だに発見されていないし、木嶋が練炭に火をつけたという直接的な証拠はもちろんない。寺田や安藤案件に関しては、当初から警察は自殺、火災事故と判断、現場検証や司法解剖さえ行っていないのだ。ズサンな捜査、そして法廷では間接的状況証拠のみ。
全て類推だけだ。直接証拠がない場合「合理的疑いがないほどに」木嶋の犯行を立証しなければならない。しかし一審法廷での審理はそれが果たされたとは思えない。その程度の状況証拠だ。また、殺人3件に加え計10件の案件が一括審理という点にも盲点がある。1件1件の事件を見ると、木嶋の犯行には“疑いの余地”のあるものもある。また木嶋の犯行を強く示唆するものもある。事件によって差が生じているのだ。しかしそうしたバラバラの事件が一括され、類似点がクローズアップされたことが死刑判決の大きな要因となったことは確かだ。こうした手法が今後まかり通っていいのか。
今回の裁判は木嶋の犯行が裁かれたものではなく、木嶋の人格――「嘘つき」「特異な価値観」「売春行為」「複数の男性との同時進行の交際」「男の金で贅沢な暮らし」――が裁かれたものだったのではないか。それは、検察、裁判官たちの一貫した「常識を振りかざした」態度からみえた。自分たちには理解できない人種、得体の知れない女、それが木嶋だったのだろう。
木嶋は犯行現場とされる場所に証拠を残していない。もちろんかなり疑わしい状況ではあるがしかし、1点の曇りもなく木嶋の犯行かといわれれば、断言できる証拠もまたない。
■議論対象から外された、木嶋の死刑
木嶋判決から約2週間後の4月26日、東京地裁では民主党元代表だった小沢一郎の判決公判が行われた。政治資金規正法違反で検察審査会から強制起訴された一件だ。大きな注目を浴びたこの判決だったが、結果は無罪。その理由は収支報告書に虚偽記載があったことは事実だが、小沢自身はその「報告を受けず、認識していなかった可能性がある」「(虚偽記載をした)元秘書らとの間の共謀について証明が十分ではない」というものだった。
同じように状況証拠のみだった大阪の母子殺害事件では、最高裁が「逆転無罪」判決を下した。ここでは「疑わしきは罰せず」という司法の原理原則が適用され、一方の木嶋裁判では「疑わしきは罰する」と判断が分かれた。もちろん事件の性格は別のものだ。しかし「(犯行を犯していない)可能性」「証明が十分でない」という点については双方が共通するのだ。また、裁判が行われる前からマスコミによって膨大な情報が流されたという点も同じだ。
さらに裁判員裁判の問題点もある。今回の木嶋事件は、死刑判決が予想され、かつ被告人が否認を貫いた裁判だった。100日という裁判員裁判史上最長となった期日だったが、それでも十分な審議が行われたかは疑問だ。同じく状況証拠しかなく、被告も否認を続けた和歌山毒カレー事件の林真須美(死刑囚)は一審判決まで約3年もの審議が行われている。4人を殺した永山事件に至っては一審判決まで10年がかかった。木嶋事件は3件の殺人のほか7件もの事件の審議が行われたことを考えれば、この100日は決して長い時間ではない。裁判をやみくもに引き伸ばせばいいというのではないが、10件の事件を裁くにはあまりに拙速すぎる。そもそも、裁判員裁判で死刑が想定される事件を審議するのは妥当なのか。
そして、被告人が否認し、証拠もほとんどなく、にもかかわらず死刑判決が出た場合、これまではジャーナリストや専門家、司法関係者のさまざまなコメントや事件の検証、さらに死刑制度の是非にまで議論が進むことが多い中、木嶋事件に関して、それはほとんどなされていない。死刑制度反対の議論でも、現在のところ、木嶋の存在は抜け落ちている。オウムの麻原彰晃にしても、裁判手続きや死刑についての議論がなされたことを考えると、今回の木嶋ケースは異様でもある。
多くの関係者にも話を聞いたが、死刑判決に疑問を呈する人間は皆無だった。いや、判決など木嶋を語る際には“関係ない”といった空気さえ流れていた。こうした世の中の空気が判決前から「木嶋が犯人に違いない」という世俗的な意見となり、判決に影響を与えてはいないか。ポピュリズムに犯され、扇動されてはいないのか。状況証拠だけで、簡単に死刑を下されることが平然とまかり通っていいのか。
木嶋のパーソナリティが余りに全面に押し出されたため、木嶋佳苗という人間への興味が死刑という“現実”をも凌駕してしまったのごとくの状況――。だが本来それらは別次元の話だ。
裁判長は判決の最後にこう言った。
「死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむを得ない場合における刑罰であるとしても、被告に対しては、死刑をもって臨むほかない。主文、被告人を死刑に処する」
この際木嶋は、ほとんど表情を変えることなく裁判長を見つめていた。
木嶋にとって“死”とは何か。法廷での木嶋、そして判決を下される瞬間の木嶋の様子を思うと、木嶋は死や生に対してあまりに“無自覚”なのではないかとさえ感じてしまう。
いや、木嶋は罪を認めていない。強く無罪を信じている。木嶋の態度はその強固な意志の表れなのだろうか。
(取材・文/神林広恵)
5月18日、本欄筆者による木嶋佳苗の全記録本『木嶋佳苗劇場』(神林広恵・高橋ユキ共編著)が宝島社「宝島ノンフィクション劇場1」から出版される
【バックナンバー】
・第1回前編:女としての自信と”落差”、騙される男たち……木嶋佳苗という女の闇を追う
・第1回後編:「とにかく頭が良かった」中学時代の木嶋佳苗、その異常なる行動力と冷静さ
・第2回前編:“セックス”の意味に揺さぶりをかける、木嶋佳苗の男と金の価値観
・第2回後編:良家の子女の顔と窃盗癖の顔……木嶋佳苗の10代と上京後
・第3回:木嶋佳苗の巨大な欲望の前に打ち砕かれた、男たちの“儚い夢”