スーパーモデル全盛期の代表格C・ターリントン、今はすべて母親の味方に
――夢中になった映画やドラマに出演していた、あの人。パタっと見なくなったけど、やっぱり気になる~!! そんなアナタのために、サイゾーウーマンの海外特派員・JULIEが、噂のあの人の仕事からプライベートまで、現地で情報をかき集めてきました!
■今回のターゲット
クリスティー・ターリントン(スーパーモデル)
スーパーモデル全盛期の90年代、ファッション界のバイブルと呼ばれていた雑誌「VOGUE」の表紙をコンスタントに飾り、カリスマ的人気を集めたクリスティー・ターリントン。究極の美である完璧なシンメトリー(完全に左右対称)の顔を持ち、ゴージャスでエレガントな雰囲気を漂わせている彼女は超一流ブランドから指名され続けてました。各ブランドと100万ドル契約を結んでおり、歴史上最も成功したモデルの一人だとも称されています。メイベリンの広告塔でもある彼女。エイジレスな美しさは今なお多くの人々を魅了しています。
クリスティーがモデルになったきっかけは乗馬。14歳の時に姉と一緒に乗馬のレッスンを受けていたところ、たまたま来ていた写真家が彼女の写真を撮り、「モデル事務所に送りたい」と見学していた母親にアプローチしたのです。歯を矯正中だったクリスティーは、「えっ? 私が?」と驚いたそうですが、すぐに地元デパートのカタログの仕事が入ったそう。バイト感覚で仕事を引き受けたクリスティーでしたが、ギャラがよかったことからモデルとしての仕事を本格的にする決断を下します。そして、彼女はあっという間に売れっ子スーパーモデルへと成長したのです。
カリフォルニアで生まれ育ったクリスティーですが、父はイギリス人、母はエルサルバドル人。母親は学業がいかに大切なのかを口うるさく言い、モデル業がどんなに忙しくなっても、高校を辞めることを許しませんでした。そのおかげでニューヨーク大学に進学。
高校卒業後は、ファッション誌はもちろん、世界中のショーのランウェイに登場するほか、カルバン・クラインなどのテレビCMに登場したり、ジョージ・マイケルのミュージック・ビデオに出演したりと、活動の場を広げていったクリスティー。意外なことにランウェイは苦手で「歩いている時は、どうやったら一秒でも早く戻れるかって考える」そうですが、19歳のころから続けているヨガで精神統一をし、仕事だけでなく私生活が乱れないよう、心がけていたそうです。
ヨガについては、「ニューヨーク大学で比較宗教を学んでいた時、ごくごく自然な流れでヨガを始めるようになった。父をがんで亡くし、それをきっかけに禁煙をし、精神的に辛い時期だったけれど、ヨガで乗り越えられた」「決断をする時、新しく何かをする時、全てのことがヨガにつながっている。ヨガをすることで、正しい決断ができ、新しい何かをやろうという気持ちになる」とインタビューで語っています。
スーパーモデルとして煌びやかな世界にいたものの、ヨガのおかげもあってか、自分を見失うことはありませんでした。長年喫煙者だった父親を肺がんで亡くした時は、禁煙キャンペーンCMに出演。自分が禁煙したこと、父も禁煙したけれど6カ月後に肺がんで死んでしまったことを涙ぐみながら語るというで内容、好評を博しました。過激な動物愛護団体として知られるPETAのCMで全裸にもなっており、このころから高い知名度を使って、積極的にメッセージを発信するように。
その後、次第にモデル以外の仕事も手掛けるようになり、2000年にはアーユルヴェーダのビジネスパートナーになり、スキンケア商品をリリース。人気スポーツブランド「プーマ」とも契約をし、ヨガ着を専門に手掛けるラインを発売。ヨガ雑誌でコラムを執筆していた彼女は、02年にヨガの本『Living Yoga: Creating A Life Practice』を出版し、セレブにおけるヨガの代表格に。
一方、男女関係に関してはかなりお堅い考えで、一夜だけの関係を嫌い、付き合うからには真剣交際をするというスタンス。18歳の時に、離婚したての俳優のロジャー・ウィルソンと付き合いだした時も落ち着いた関係で、6年間交際を続けました。なお、雑誌のインタビューで「ロジャーと結婚した」と言ったこともありましたが、スピリチュアルな意味で永遠の愛を誓い合ったという意味であり、法的には結婚していません。
その後、何人かの恋人との別れを経験し、映画俳優・プロデューサーのエドワード・バーンズと出会います。エドワードは00年に友人からクリスティーとのお膳立てを持ちかけられ、大喜び。ですが、クリスティーはエドワードを軽い男だと思い、拒否。しかし、その数カ月後に開催されたチャリティー・イベントで、ふたりは偶然出会うことに。話をしてみると価値観が合い、結婚・子育て願望が強いことも一致。数週間後には婚約を発表しました。
01年10月にイタリアで結婚式を挙げる予定だったのですが、911アメリカ同時多発テロで、ふたりが同棲していたニューヨークのマンションのすぐそばに立つ世界貿易センタービルが崩壊するというショッキングな事件が起こり、式は延期。その後、婚約も解消したのですが、お互いが必要だと痛感しすぐに復縁。03年6月に結婚式を挙げたのでした。ちなみに、クリスティーの姉ケリーはエドワードの弟と結婚。兄弟同士で結婚するという珍しい関係を築いています。
エドワードと結婚した年の10月25日、クリスティーは長女グレースを出産。お産直後に大量に不正出血するというハプニングがありましたが、大事には至りませんでした。退院後、クリスティーは、「世界では私と同じようにお産の時に出血し、そのまま命を落としていく女性が多いのでは?」と思い、リサーチを開始。予想以上に、世界の多くの国で、お産を命がけで行っている女性が多いという事実を知り、世界中の妊婦の健康を充実させ、出産時のトラブルを予防することを目的とした団体「Every Mother Counts」を設立しました。コロンビア大学で公衆衛生学の修士学位コースを採り専門知識を学び、ヒラリー・クリントンとも面談し、世界中の女性が安心してお産できる環境を作ってあげたいと訴えるなど、使命に燃え、活動しています。
06年には長男も誕生し、育児にも忙しいクリスティー。モデルの仕事も続けており、妻としてエドワードの新作映画のプレミア上映に華を添えるなど大活躍。「Every Mother Counts」のため、世界の貧困地を訪れ、昨年はオプラ・ウィンフリーの放送局で『No Woman, No Cry』というドキュメンタリー・シリーズを制作・放送。世界中の妊婦の強い味方だと言われるまでになりました。
スーパーモデルから、スーパーマザー、そしてスーパーウーマンになったクリスティー。彼女が本当にしたかったグローバルな活躍はまだまだ始まったばかりなのです。
JULIE
海外生活20年以上の、海外芸能ジャーナリスト。 ゴシップサイトやタブロイド紙を毎日巡回中。ルーペ・ヴェレスからレディー・ガガまでイケる雑食系。世界各地から情報を取り寄せ、粘着質的にリサーチするのが大好物。
セグレタのCMはクリスティーの良さがなかったよね~
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