木嶋佳苗の巨大な欲望の前に打ち砕かれた、男たちの“儚い夢”
世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。
[第3回]
首都圏 婚活連続不審死事件
(前回はこちら)
池袋駅に隣接する東武百貨店は、関東最大のフロアー面積を有する巨大複合百貨店だ。木嶋はこの11階から13階にある飲食店街を度々利用していた。婚活サイトで知り合ったCと最初に会った店もそこにあった。ランチ時間を過ぎた1時半になっても、10人ほどの客が行列をしている人気店。だが内装も凝っているわけでななく、家族連れや老夫婦が好みそうな平凡な昔からあるデパート内の日本蕎麦屋だ。客の回転も速く、せわしない。飲食フロアーの中には、他2軒の日本蕎麦屋があるが、中でも最もファミリー的でありリーズナブル、味も3流だ。
大出殺害容疑で家宅捜索を受ける直前の2009年9月1日、当時38歳のCと木嶋はここで初めて会った。「40歳以上で、歳の離れた人しか恋愛の対象にしていなかった」という木嶋だが、この時はなぜか「年の幅を広げて付き合ってみよう」と思ったという。木嶋被告は、いつものように、直接会う日にメールで「学費の援助」をCに要求している。
ブランドや一流食材にこだわり、1人で千疋屋でランチをとる。また代官山の“セレブ”料理学校に通った木嶋被告が選んだ庶民的な店。ここにも木嶋被告の一面がある。
■「ゴムなしセックス」が効かなかった男
当時木嶋被告が住むマンションは、東武百貨店から西口へ出て5分ほどの池袋警察の目の前にあった。「お菓子教室用」(木嶋)「大出との新居」(検察)と意見が相違するマンションだが、その最上階を木嶋被告は契約した。以前に住んでいた上板橋では13万円の家賃だったが、今度は27万円。ここでの生活は木嶋被告が逮捕されたことで、わずか2カ月足らずで終わるのだが、木嶋被告は池袋との縁は深い。
上京した当初は目黒区に居住するが、98年頃に板橋区に転居して以来、池袋駅西口のマンションに引っ越すまで居住は板橋区であり、ターミナル駅は池袋駅だ。池袋駅は埼京線、西武池袋線、東武東上線、それに山手線、東京メトロ3線が交差する巨大ターミナル駅だ。また、湘南新宿ラインの宇都宮線、高崎線も停車することから、埼玉、群馬、栃木からの乗客も多い。
事件化した3人のうち千代田区の大出さんを除いて(遺体発見現場は埼玉県富士見市であるが)、「千葉県野田市の安藤さん」と「東京都青梅市の寺田さん」。パトロンと言われる福山さんは千葉県柏市。さらに詐欺容疑は長野県や静岡県、野田市などであり、その多くの男たちとの待ち合わせもまた池袋駅だった。木嶋の生活拠点だった池袋。
そしてCもまた埼玉県在住だった。Cは「(木嶋の初対面の印象を)好みのタイプ」と思い、木嶋被告はCと「趣味や仕事、家族のことなどを穏やかな雰囲気で」会話したという。が、Cは裕福ではなかった。木嶋被告は男たちと会う前から躊躇なく金銭援助を求め、初対面で収入を聞いている。「Cは再就職したばかりで以前より収入が減り貯金もない」「結婚を前提としているし、(収入が低いというのは一体)どのくらい低いのかしら?」と“素朴”な疑問を持った。収入を聞くのは彼女にとって当然のことだ。食事後2人はホテル街に向った。「Cからカフェに行こうといわれ付いていくと、西口から北口に移動し『お城のようなホテルがあるね、行ってみましょうか』」と誘われたと木嶋被告は証言している(一方のCは木嶋被告から誘われたと証言)。
池袋駅西口は、駅前に東京芸術劇場、続いて立教大学池袋キャンパスがあり、美しいレンガ作りの一角があるものの、少し方向をずらして北口へ向うと中国語が飛び交う飲食店街、風俗店、ラブホなどもひしめく歓楽街となる。北口を歩いていくとすぐにラブホが林立する一角がある。だが「お城のような」ホテルはない。外装は剥がれ、古びた建物が多い。確かに「キャッスル」というラブホはあったが、外観はちっとも「お城」風ではなかった。料金も平日3時間が1,990円と激安。ネットカフェと代わらない値段設定だ。まだ宵が訪れる前の時間に、何組かの若いカップルが吸い込まれていく。
「(Cは)女の子と初めてデートしたと言いました。興味本位で聞くと、セックス経験もなかった。40歳近くなって女性とお付き合いしたことのない人を始めて見た。ひどくビックリした」と木嶋被告はCを見下したように語る一方、「初対面で童貞なのに積極的で驚きましたが、好感を持ったので(誘いを)断らなかった。ずっと年上が好きだったけれど、『純粋で素敵な方。結婚相手の候補の1人に』」という相矛盾した感想を述べている。2人はホテルで肉体関係を結んだ。
性経験豊富な木嶋被告と童貞男の初対面セックスは、「コンドームなしのナマ中出しセックス」だった。証人尋問でCはこう証言した。
検察官「射精はしました?」
証人「はい」
「どこに?」
「中……」
「膣の中ですか?」
「はい」
「ためらいとか、そういう気持ちはなかった?」
「最初はあったので、ゴムのこと聞いて。いいと」
「断りもなく膣の中に射精した?」
「そうです」
19歳のころからピルを常用していた木嶋被告だが、コンドームなしのセックスは「本気で結婚するつもり」であることを演出し、“学費の援助”を容易にするためのものなのだろう。その後のメールで木嶋は「もしかしたら妊娠する可能性もありますからね」と記し、Cは「本気で学費のことを考えなければ」と思った。
木嶋被告は初対面でセックスをする一方、「簡単に金を引き出せた男」とは肉体関係を結んでいない。寺田さん、安藤さん、福山さん、家を提供したA、詐欺被害者で高級ホテルで2度も寝込んでしまった男1――。ただし3人の死者に関しては木嶋被告がそう主張しているだけで、真実はわからない。しかしセックスに関し絶対的自信を持っていた木嶋被告が、それをコントロールすることで、男たち(の金)を巧妙に支配しようとしたとしても不思議ではない。
Cとセックスの後も「学費70万円の援助」を何度も要求し、その返答がないまま再びCとホテルへ行った。「一回目はあわただしかったので」と木嶋被告が誘い、「(学費を)半分くらい負担することができませんか?」と援助額をダンピングした。この際、木嶋はCにニセの源泉徴収票を見せている。「あなたをこんなに信用しているのだから、金銭援助を」という駆け引き――。しかし2度もセックスしたにもかかわらず、木嶋被告はCさんから金銭を受け取ることに失敗した。Cさんの両親の反対、特に母親が泣いて止めたため、「35万円さえも用意できない方と結婚生活は難しい」「Cさんはもう結婚相手ではない」と即断している。Cに対する軽蔑の感情は、経済的侮蔑と同時に、凄腕の木嶋被告のプライドの表れだ。
■男たちの欲望に身を投じた果て
当時、多くの男たちからいともたやすく高額の金を引き出していた木嶋だが、婚活サイトとは別に、明らかに売春を目的とした出会い系サイトを利用している。
「全日本愛人不倫クラブ」「妊婦系サイト」「ぽっちゃり系サイト」「恋人探しサイト」
そして少なくとも6人の男たちから20万、10万、5万円といった金が木嶋の通帳に振り込まれていた。中には140万円という大金も存在する。検察は「学費の援助」だけでなく、「妻にバラす」「出血した」と脅迫したのではないかと追求したが、木嶋はそもそもサイト名、男性の名前、年齢など詳細を「覚えていない」。09年、3人の男たちが不審死を遂げたこの年、木嶋は多くの男たちの欲望の渦に自らを投じていた。だが結局、男たちの欲望など木嶋が求めたそれに比べれば、あまりに普遍的で小さなものだった。
09年2月1日、木嶋は念願だったEクラスワインレッドのベンツ(中古車、約460万円)を購入した。代金は前々日の1月30日、寺田さんから貰ったと主張する通帳から出した。1月30日に寺田さんと“別れた”際に渡されたものだ。その前年の11月にも木嶋はCクラス・シルバーのベンツ(中古車)を寺田さんからプレゼントされている。運転免許も寺田さんからの援助で取得した。にもかかわらず木嶋は不満だった。中古のCクラスは不本意だった。木嶋はこう法廷で述べている。
「中古で安いのがいいと寺田さんに言われ、Cクラスのベンツを購入した。数日後、壁に衝突してしまって(費用が30万)。安い中古車で、愛着が湧かずぶつけたのではと寺田さんが申しまして。私が『車を買うのだったら、ベンツのワインレッドのEクラスの車が欲しい。憧れに思っている』と寺田さんにお話した」
2台ともナンバーは木嶋の誕生日である「1127」。池袋のマンション駐車場代金は月約4万円だ。念願のベンツを、寺田さんと「別れ」た直後に、寺田さんの「死亡」が既に推定される時期に手に入れていた木嶋。
そして金は湯水のように木嶋を通り過ぎる。
男たちの結婚、性欲、温かい家庭といった願望など、木嶋の前では儚くさえある。木嶋の人生を賭けた巨大な欲望の前にして、男たちは打ち砕かれていった。
(取材・文/神林広恵)
住めば都でしたよ、池袋。
【バックナンバー】
・第1回前編:女としての自信と”落差”、騙される男たち……木嶋佳苗という女の闇を追う
・第1回後編:「とにかく頭が良かった」中学時代の木嶋佳苗、その異常なる行動力と冷静さ
・第2回前編:“セックス”の意味に揺さぶりをかける、木嶋佳苗の男と金の価値観
・第2回後編:良家の子女の顔と窃盗癖の顔……木嶋佳苗の10代と上京後