良家の子女の顔と窃盗癖の顔……木嶋佳苗の10代と上京後
世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。
[第3回]
首都圏 婚活連続不審死事件
(前回はこちら)
「今まで(セックスを)した中で一番いい。テクニックよりも本来持っている機能が普通の女性よりも高い、と褒めてくれる人が多かった」
「(愛人関係にあったのは)企業の役員や会社経営者、学者、医師、弁護士など社会的地位の高い人ばかり」
「(セックスの到達点とは)長時間快感が持続すること。トランス状態で私をオーガズムに導き、トリップすること」
「性の奥義を究めたい」
「道具を使うセックスは邪道」
木嶋被告が法廷で繰り出した数々の“セックス語録”である。悪びれるわけでもなく、法廷で自らのセックス談義を披露する木嶋被告は、一体どんな軌跡をたどり、この法廷に辿りついたのか。
木嶋被告は1974年北海道東部にある中標津町で生まれ、小学校に上がる頃、別海町に転居した。別海町からは、海岸線の先に北方領土の国後島が浮かんで見えるという。行政書士の父親、ピアノ講師もしていた母親と妹2人、弟1人という家族だった。祖父は司法書士で町会議員を10期に渡り務め、1万6,000人ほどの人口の別海町では名士といってもいい一家だ。地元の別海高校普通科へ進学した木嶋被告だが、サークル活動としてボランティア同好会に所属、老人福祉施設で入浴介護などの手伝いをしていたという。高校3年の時には同好会の部長にもなっている。またピアノ講師の母親からの手ほどきで、小学校から高校までピアノコンクールやコンテストに出場し優勝したこともあった。
「介護」「ボランティア」「ピアノ」といういかにも良家の子女らしい、健全そうな高校生活が思い浮かぶ。が、しかし実際には、それらが持つイメージとはかけ離れた木嶋被告の青春があった。北海道時代、“犯罪”はすでに木嶋被告の近くにいた。高校2年生の時、木嶋被告は窃盗罪で保護観察処分を受けているのだ。
弁護士「(当時の)交際相手に指示され、知人宅から通帳と印鑑を持ち出した?」
木嶋被告「はい」
「現金は引き出された?」
「はい」
「お金は受け取った?」
「いいえ」
「交際相手が持って行った?」
「はい」
「被害額は?」
「700~800万円です」
「弁償は?」
「父が全額支払いました」
窃盗を指示したという交際相手は、木嶋被告の初体験の相手で当時40代の男性だった。この時本当に木嶋被告が金銭を受け取らなかったかどうかは、今ではわからない。だがその萌芽は木嶋被告の中に確実に存在した。佐野真一の木嶋ルポ「別海から来た女」には、さらに時代を遡った木嶋のある行為が記されている。「小学生時代から盗癖があったこと、知人宅から貯金通帳を持ち出していた」ことが祖父の証言として残っている。
1993年、高校を卒業した木嶋被告は上京し、ファーストフード会社に就職する。しかし、「接客などのサービス業が合わない」とわずか3カ月間の研修期間で辞めたという。それから木嶋被告は働いたことはない。男性と“関係する”ことで援助を受けて生活していた。平均収入は月150万円ほどだったという。複数の男性、しかも会社役員、医師、弁護士といったエリートたちと愛人契約を結び、デートクラブに登録し、そのお手当てで生活をしていたのだ。そのきっかけも、法廷で木嶋被告本人が明らかにしている(この23回公判は、最もマスコミが反応した木嶋被告の“語録”が満載な公判だった)。
■10代から愛人契約とデートクラブで稼ぐ
上京から間もない頃、木嶋被告は渋谷区道玄坂の喫茶店で声をかけられた。40歳前後というその男は「あなたのような人が好きな男性がいるので紹介したい」とスカウトしてきた。木嶋被告は、突然で驚いたというが、話を聞くうちに興味を持ち了承する。この際の条件は「ノーマルなセックスなら可能」だった。
最初の男は会社経営者だ。赤坂のホテルで食事をしただけで5万円を受け取り、2回目で肉体関係を持ち、10万円を男性から渡された。ここであまりにも有名になった「今まで(セックス)したなかで、あなたほどすごい女性はいない(と褒められた)」という仰天証言が飛び出している。この時から01年まで約20人の男と愛人契約をするのだが、それと平行してデートクラブにも登録をしている。その理由について木嶋被告は「(愛人関係の方々は)私を褒めてくれたので、一般ではどうかな、と。素朴な疑問を持っていたので試してみました」と述べている。デートクラブで知り合った男は約10人。この男たちからも、「テクニックよりも本来持っている機能が高い」と褒められたことを証言した。 この期間、木嶋被告によれば愛人たちとは別に交際し、結婚を考えている男も存在したという。そのことに触れた弁護人の「他の男性とセックスして裏切りになるとは?」という質問に、木嶋被告が「私はそういう価値観を持っていません」と言い切っている。
木嶋被告のお手本は叶姉妹だ。彼女たちに憧れていたという木嶋被告だが、身も心も叶姉妹になろうとしたのか。外見はともかく彼女の頭の中では「私もすっかり叶姉妹みたい」というすり替えがおこなわれていたのではないか。そのインモラルな奔放な生活もしかり、だ。だが愛人、デートクラブともに01年で一時休止をしている。その理由は妹が上京し一緒に暮らすことになったからだ。
木嶋被告と妹弟たちの仲は意外にもかなり良好で親密なものだった。幼少期は妹弟の面倒をよく見ていたという。木嶋被告が逮捕された際、多くのマスコミがコメントを求めようとしたが、一切拒否。姉を信じ、差し入れをするなど一貫して姉を支え続けているという。愛人契約を打ち切り妹と同居を始めた01年6月、当時27歳だった木嶋被告は福山定男さんと知り合った。千葉県松戸市でリサイクル業などを営み成功を収めていた当時64歳の自営業者だ。
■1億円を援助した、木嶋被告の“一人目”の男
木嶋被告はネット掲示板で、福山さんからの「手伝い募集」を見つけ、面接を受けた。福山さんの副業である不動産業務や事務所、掃除や食事の用意といった「個人的な仕事」だった。報酬は月給20万円。福山さんが木嶋被告を相当気に入っていたであろうことが、木嶋被告本人の口からも次々と証言されている。福山さんは木嶋被告を息子の嫁にと切望し、2,000~3,000万円入った証券口座の管理もさせた。
だが木嶋被告にしたら、この金額でも不満だったようだ。「一生懸命節約しても、月の生活費が100万円を切ることは難しかった」ため、足らない分は福山が援助している。また03年、オークション詐欺で木嶋被告が逮捕された後も、体調の優れない木嶋被告の治療費、生活費などの援助も変らず続けている。
そこまでする福山さんについて木嶋被告はこう話している。
「素朴で地味だと思っていたつもりが、実際雇ってみたら世間一般の価値観から離れた特殊な女性だと分かって、それが楽しかったんじゃないかと」
「こんな奔放だと思わなかった、と言われました」
「自由な価値観を持っているのは良い、と言ってくれました」
福山さんとは一度も肉体関係はなかったと何度も強調する木嶋被告だが、福山さんは02年から5年間に渡り1億円近い金を木嶋被告に援助し続ける。07年8月、福山さんは70歳で死亡する。リサイクルショップ2階の風呂場で入浴中、全裸で泡を吹いての死亡しているのが発見された。しかし警察は事件性はないとして、これを処理した。
木嶋被告の周囲には起訴された3つの殺人以外にあと3件の計6件の不審死が判明しているが、福山案件もまた事件化されず、闇に葬られた不審死の一つである。木嶋被告は弁護士から福山さんの死をどう思ったのかと質問され「(今後も)福山さんのような男性を探すのが一番だなと思いました」と淡々と応えている。そこには人間への、そして金銭を援助してくれた男への情は一切ない。
このスポンサーの死以降、まるで一線を越えたように、木嶋被告の周辺には詐欺と変死が積み重なっていくことになる。
(取材・文/神林広恵)
あんた、金を稼ぐのって大変なのよ
【バックナンバー】
・第1回前編:女としての自信と”落差”、騙される男たち……木嶋佳苗という女の闇を追う
・第1回後編:「とにかく頭が良かった」中学時代の木嶋佳苗、その異常なる行動力と冷静さ
・第2回前編:“セックス”の意味に揺さぶりをかける、木嶋佳苗の男と金の価値観