子どもに夢を託しすぎて家庭崩壊! ハリウッドの名物ステージパパ&ママ
わが子の才能を信じて可能性にかけ、幼少時期から子どもを売り込むステージママは、日本だけでなくアメリカにも大勢いる。「公私混合してしまい、子どもにつらい思いをさせることになるから」と最初から事務所にすべて任せる親もいるが、子どものことは自分が一番よく知っているとしゃしゃり出てくる親が圧倒的に多いともいわれている。
ステージママどころかステージパパも多く存在するといわれているが、シビアなハリウッドで成功するのはほんの一握り。成功したとしても親子関係が壊れるという大きな代償を払うケースも少なくない。
今回は、わが子に人生をかけた名物ステージママ&パパの中から、特に目立っている「ハリウッドで有名なステージママ&パパ」をご紹介する。
■第5位 ブリトニー・スピアーズの母親、リン・スピアーズ
テキサスに生まれ育ったブリトニー・スピアーズ。歌手になりたいという娘の夢を叶えるために、惜しみない努力をした母リン。年齢が低すぎて不採用だったオーディションで「ニューヨークに行けばチャンスがある」と言われれば、なりふり構わずニューヨークに直行。アイドル発掘番組会場に到着したブリトニーが「この服は嫌」と言えば、近くの高級デパートに走って高いドレスを購入して着せるなど、よきステージママとして知られていた。
しかし娘がスターになった途端、「売れるためなら」とセクシュアルなイメージで売り出すことを勧めるように。音楽誌「ローリングストーン」の表紙を飾る前に豊胸手術を受けるようブリトニーを説得したというゴシップまで流れているほか、インタビューで「私はバージン」と言うように指示したのもリンだといわれている。
ブリトニーは2007年に無理やりリハビリ施設に入所させたとリンと不仲になっていた時期がある。その翌年リンはスターを持つ親としての自叙伝をリリース。ブリトニーが処女を失ったのは14歳の時で高校のフットボール選手が相手だったと暴露。酒を飲み始めたのは13歳、15歳でドラッグに手を出したという爆弾も投下し、「ブリトニーも堕ちるところまで堕ちたが、ステージママも堕ちたか」と陰口を叩かれた。
■第4位 ジェシカ・シンプソン&アシュリー・シンプソンの父親、ジョー・シンプソン
19歳のころから牧師として信者たちを導いてきたジョー・シンプソンは、11歳で神様から「歌手になりなさい」とのお告げを受けた娘・ジェシカを全力でサポートする決心をし、オーディションやレコード契約につながる手立てをしてきた。ソニーと契約を結んだ後は妻子を連れてロサンゼルスへ移住し、ジェシカのマネジメントに徹するように。ジェシカのステージに次女のアシュリーをバックアップダンサーとして参加させるなど、強かなやり手で、最終的には2人の娘を共に人気歌手にすることに成功した。
仕事内容には逐一口を出すジョーは、ジェシカと結婚したニック・ラシェイにも口うるさく提言するようになり、このことがジェシカとニックの離婚原因のひとつだともいわれている。しかし、2人を有名にしたリアリティー番組『Newlyweds 新婚アイドル:ニックとジェシカ』、アシュリーを人気者にしたリアリティー番組『アシュリー・シンプソン~デビューへの道~』、両番組とも企画の段階からジョーは関わっており、彼の存在なしでは今日の3人はなかっただろうといわれている。業界からも敏腕マネジャーだと定評があり、周囲の勧めで芸能事務所を立ち上げ、今では娘たち以外の若く情熱的なスターの育成に力を注いでいる。
■第3位 ビヨンセの父親、マシュー・ノウルズ
歌が大好きなビヨンセが仲良しのケリー・ローランドと一緒に組んだガールズ・グループが、アイドル発掘オーディション番組で敗北した時、父マシュー・ノウルズは「一体どこが悪いんだ」とショックを受けた。番組司会者にアドバイスを求めた彼は、「才能はあるんだから特訓するのみだ」と言われ、グループのフルタイム・マネジャーになる決心をする。突然仕事を辞めて、マネジメント事務所を設立したマシューにドン引きしていた妻ティナも、夫と娘たちの情熱にほだされ衣装とメイクを担当するようになった。
両親の全面バックアップを得たビヨンセのグループはイメージを一新し、デスティニーズ・チャイルドとして再出発することに。父親は娘たちの才能を伸ばしてくれそうな一流音楽プロデューサーたちに積極的にアプローチをかけ、そのかいあって、彼女たちはトントン拍子にトップスターにのし上がった。グループは2005年に解散したが、ビヨンセはその後もソロアーティストとして大成功を収めており、これもマシューのマネジメントがあったからこそだという声もある。
業界きっての敏腕マネジャーと言われるようになったマシューだが、2011年、ビヨンセは父のマネジメント下から離れる決心をする。マシューも「これから自分はゴスペル・アーティストを育てる」とコメントしていたが、ビヨンセの金をネコババしていたことが発覚したのが原因だとも、不倫・隠子発覚にビヨンセが大激怒したからだともささやかれている。
■第2位 ドリュー・バリモアの母親、ジャイド・バリモア
自らも女優になりたかったというジャイドは、ドリュー・バリモアを出産後、娘を芸能界入りさせようとオーディションを受けさせまくった。11カ月でドッグフードのCM契約を手に入れ、しばらくモデルとして活動した後、4歳で念願だった映画に子役として出演させることに成功。7歳の時に『E.T.』で大ブレイクした娘は世界中で愛されるスターになった。有頂天になったジャイドは、まだ9歳だったドリューを連れてナイトクラブに繰り出すように。その結果、娘は9歳で喫煙&飲酒、12歳でコカインを始め、14歳でリハビリ施設に入所するはめに。
娘の知名度を使うばかりで子育てを放棄した最低のステージママだと世間から非難されても「タバコや酒、ドラッグは学校の友達の影響。みんなやってるし」と罪悪感ゼロのジャイド。ドリューも母親が悪の根源だと気がつき15歳の時に独立を決意。裁判所で「母は私に悪影響を与える存在」だと証言し、絶縁した。そんな娘の気持ちなどおかまいなしのジャイドは、ドリューが「プレイボーイ」誌で脱いだ8カ月後に同誌でオールヌードを披露。「最低最悪の母親」とドリューは言い、表面的な和解はしているものの、今なお母親を許せずにいるといわれている。
■第1位 ブルック・シールズの母親、テリー・シールズ
「ステージママと呼んでもらって光栄」と断言したブルック・シールズの母親テリーは、「芸能界に娘を売った鬼母」と言われることが多い。生後11カ月でブルックをCMデビューさせた後に、大手フォード事務所と契約することに成功。カタログモデルとして活躍させた。
その後、女優としての名声を得ようと狙いを定めた彼女は、撮影当時11歳だったブルックにオールヌード・シーンもある娼婦の役を演じさせることを決意。映画『プリティ・ベビー』は大ヒットとなったが、児童娼婦を演じさせたトンでもないステージママだと叩かれるようになった。「あの役は誰でもいいってわけじゃない。演技力のある娘だから演じられる」と堂々としていたが、10歳の時に「プレイボーイ」の写真家にブルックのヌードを450ドルで撮影させたこともあり、冷たい目で見られた。
ブルックはその後もセクシュアルな匂いがプンプンする仕事ばかりしている。15歳の時に出演した『青い珊瑚礁』『エンドレス・ラブ』のヌードシーンやセックスシーンでボディ・ダブル(代役)を使ったと主張したが、信じる者は少なかった。母の思惑通りセクシー・ティーンのイメージがついたブルックは世界的に高い人気を誇る女優に。14歳のブルックが「カルバンのジーンズと私の肌の間には何も入れない」というキャッチフレーズをささやいたCMのおかげで、カルバンクラインは300%も売り上げアップしたと伝えられている。
ブルックはステージママとしてのテリーを「信頼できる」と評価していたが、次第にテリーがアルコール依存症であることに嫌悪感を抱くように。20代後半になると母の存在は仕事的にも邪魔になり、アンドレ・アガシと交際することで自信をつけたブルックは、29歳で母をクビにし大手芸能事務所にマネジメントを依頼した。
ほかにも、マネジャーで元ポルノ男優の父親ジャックが「娘が共演者から背中をいやらしくさすられた!」と怒り狂い舞台を降板させられてしまったソーラ・バーチ、カメラの後ろに立ち「輝きなさい! シャーリー! 輝くのよ!」と叫んだという逸話が残るシャーリー・テンプルの母親ガートルード、自分の夢を娘に託したもののマネジメント能力がなくゴシップの女王にさせてしまったリンジー・ローハンの母親ディナ。エリザベス・テイラーの母親もステージママであった。
黒幕に徹することができればステージママやステージパパとして満点なのだろうが、「ママのおかげ」「パパのおかげ」とチヤホヤされれば嬉しくなり、ついついベラベラ喋ってしまうもの。その結果、子どもに嫌われ絶縁させられるパターンも多い。ステージママやステージパパは、想像以上にハイリスクなのである。
りえママ最強説!!
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