家族愛だけでは解決できない、「STORY」が直面する介護の理想と現実
今月号の大特集は「もはや最大派閥!『無糖派層』に私も、春から合流」。現在の「STORY」を象徴する「無糖派」企画です。かつての主流派だったバブル世代が徐々に姿を消し、変わって参入してきたのがDKJ(団塊ジュニア)と呼ばれる世代。そんなDKJファッションの特徴と言えば「シンプル&カジュアル」であり、「STORY」ではそのスタイルを敢えて世代では分類せず「無糖派層」と呼ぶようになりました。ブリっとしたコンサバスーツに身を包みPTA活動に勤しんでいた奥さまが、黒・グレー・カーキーなどの地味目裏方ファッションに。と同時に、バブル世代を支えていた「私が一番」というプライドは、「同性に認められたい」というANEGO志向にチェンジ。ここ1年ほどでさり気なく姿を変えつつある「STORY」、今月も注意深く拝見いたしましょう。
<トピックス>
◎大特集 もはや最大派閥!「無糖派層」に私も、春から合流
◎実例・45歳って何だか「青春」っぽい。
◎私たちのCHALLENGE STORY 「介護」という人生を受け入れる方法
■青春プレイという恐怖
毎週木曜にオバフォー(OVERフォーティー)たちをガチで気落ちさせていると話題のドラマ『最後から二番目の恋』(フジテレビ系)。2月号の企画「気になるのは、同級生!」にも登場した小泉今日子が45歳独身キャリアウーマンに扮し、飯島直子、森口博子らとともに40代女性の自虐ネタを惜しげもなく披露しています。体の衰え(特に女性機能の衰え)などネガティブに描かれがちな45歳オンナの現実に「んなこたぁねえよ!」と異を唱えているのがこちらの企画「実例45歳って何だか『青春』っぽい」。「青春」じゃありません、「青春っぽい」、ここがポイント。
登場するのは4人の45歳女性たち。元CAで現在キャリアコンサルタントという「STORY」の申し子的経歴を持つ女性は、15歳年下の親友と第二次青春期を謳歌。ラフォーレ原宿の「ランズ オブ エデン」でミニスカートを試着したり「完全なる高校生ノリ」を楽しんでいる様子。「私がお姉さん役というよりも、完全にフラットな関係。年齢の差なんて、全く感じず、話し始めたら、もう止まりません」。
3年前に夫を亡くした女性は子どもが大学生になったのをきっかけにマラソンにチャレンジ。若い世代のランナー仲間と皇居周りを走り「心を解放」しているのだそう。その他「7年前にサルサに出会い、それまで窮屈に感じていた”世間”や”年齢や性別の枠”が実は自分が思い込んでいた”不自由さ”だと気づいた」という独身女性、インテリアの勉強のため、36歳で単身渡米したこちらも独身女性など、「昔は色々あったけど……」現在は45歳という年齢を楽しんでいる方ばかりです。
「一番でいなきゃ」「モテなきゃ」「結婚しなきゃ」ともがき苦しんだ30代があったからこそ、45歳になって人生を楽しめるようになったと語る女性たち。「呪縛からの解放」の後、「自分らしい生き方」と「本当の自由」を手に入れたと……もはや尾崎豊の境地です。「45の夜~」です。そして皆さん口を揃えてアピールするのが「若い子たちとフラットな関係で遊べる私」。2月号のKYON2さんも確か「若い子たちとクラブ行ったり」とか言ってましたね。しかし「年齢の壁なんて全然気にならないよね!」というのは、たいてい年上の方。若手サイドは、意外と気になってますし、気ぃ使ってますよ。45歳女性たちの「青春プレイ」、出来れば関わりたくないです。ハイ。
■気が付けばすぐそこにある……介護
今月はぜひこれを読んでいただきたいです。「私たちのCHALLENGE STORY 『介護』という人生を受け入れる方法」。「STORY」が長く目を背けてきた所帯染みた悩みの数々。嫁姑問題、夫の不倫、両親の介護……これら「婦人公論」(中央公論新社)的テーマに「STORY」側から歩み寄っているのも、雑誌の大きな変化ではないでしょうか。ピン子先生が連載(「悩んだらピン子に訊け!」)でババアの扉をこじ開けてからというもの、40代女性の本音がぽろぽろとこぼれるように。
「この企画を立ち上げた時に、私たちが掲げたテーマは『家族みんなが幸せになれる介護とは?』。しかし取材を進めるにつれて見えてきたのは”きれいごと”でまとめるにはあまりにも厳しい現実、「幸せ」とはほど遠い苦悩でした」。立川談志師匠の娘、松岡弓子さんをはじめ、さまざまな形で介護を経験した(または現在もしつつある)女性たちが”きれいごと”では済まされない、介護の現実を語っています。
噺家の命である声を失い、要介護状態5で自宅へ。「介護するほうもされるほうも初めての経験。しかも突然その時が来る。どうしていいのかわからないんです」。他人が家に入ることを嫌がり、内弟子を取ることすらなかった談志夫妻。本人の意思を尊重し、家族だけで介護していたそうです。「声が出ないので、用事があるときはブザーを鳴らしてもらっていたんだけど、夜中に何度もピンポンとなって起こされる。トイレに連れて行くのだって、古いマンションで段差はあるし、足が弱り、父の体はどんどん重くなっていくし」。体調の良い時は週刊誌の連載原稿を書いていたという師匠。松岡さんは「頭はしっかりしていた。だからよけいに辛かったかもしれない」と話しています。その後病気が悪化し、自宅での介護は限界に。「ドナドナみたいで悲しかった」という再入院、当初は筆談で「帰りたい」を連呼していた師匠も次第に駄々をこねることもなくなり……。そして介護を初めて8カ月目のある日、家族に見守られながら永眠。「(介護は)家族でやった最後の大イベント」と語る一方で「8カ月が限界でした。辛い姿をちょうどいい時間見せてくれたおかげで、亡くなったあとも、あの姿で生きていたほうがよかったとは安易に言えないんですよ」と振り返っていました。
談志一家のように家族のみで介護と向き合った人、難病の母を一人で介護し身も心も追い詰められた人、積極的に施設を利用した人、両親が同時に要介護となってしまった人……「介護」と一口に言っても、その状況はまさに十人十色。自身の介護経験から「介護と恋愛」(筑摩書房)を執筆した遥洋子氏は、介護体験をこうまとめています。「いずれは自分が要介護者になる時が来ます。その時、恨みつらみを言わないためには、気の済む人生を送るしかないんです。怒りや悔しさはなるべく軽減し、楽しいポジティブな記憶を意識して残すようにすることも必要です」。”愛”という言葉で片付けられがちな介護問題。しかし、愛のすぐ裏側にはそれと同じだけの憎悪がある。愛しい家族への「憎悪」が顔を出すタイミングが、育児や介護なんですよね。「お世話する方、される方」問題を、現実のものとして捉えるきっかけを与えてくれる、心揺さぶられる特集でした。
「STORY」の親世代は豊かさの為にがむしゃらに突っ走ってきた世代であり、その中で女性は「母」としての役割を社会から強く要請されてきました。良き「お母さん」だった母親が、要介護となってから人が変わったように家族にきつく当たる……こんな話をよく聞きます。45歳今が青春!と、生活を謳歌することは、人生の帳尻合わせを老後に引き伸ばさないという、40代ならではの知恵なのかもしれません。年を取ってから「人生を返せ」と言わないための処世術です。40代女性の若づくりを「痛い」などと揶揄するだけでは、彼女たちの本当の気持ちは見えてこない……まぁお前が言うか! って話ですけどね。
(西澤千央)
介護を取り上げたことはエポックメイキングです
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