設定の壮大さゆえに、ストーリーが小じんまり見られるメイ作『アーシアン』
――西暦を確認したくなるほど時代錯誤なセリフ、常識というハードルを優雅に飛び越えた設定、凡人を置いてけぼりにするトリッキーなストーリー展開。少女マンガ史にさんぜんと輝く「迷」作を、ひもといていきます。
マンガというのは、つくづく多様な作業の組み合わせで成り立っていると思う。設定を考え、ストーリーを組み立て、キャラクターを作って絵を描く。しかも1ページに何コマも。漫画が文化として認められるくらいに市場が膨れ上がるにつれて、どんどんとマンガは進化した。そうしていつしかマンガ家には多様な能力が求められるようになってしまったのだ。
こうなるともちろん、「話は面白いけど絵はヘタクソ」とか「絵は上手いけど話はイマイチ」という、一点集中型の才能を持った作家が登場してくる。概して話が面白ければ絵は二の次、名作となる。話がイマイチなら迷作だ。そして今回紹介する『アーシアン』(高河ゆん、集英社)は、話でも絵でもなく、なんと「設定が素晴らしく面白そう」なメイ作なのである。
主人公のちはやと影艶(かげつや)は、こんな和風な名前なのに、天使である(ちなみにほかの天使達はミカエルとかラファエルとか、普通に天使の名前なのですが)。ふたりは、地球人(アーシアン)を滅ぼすべきか存続させるべきかを決めるため、影艶がアーシアンのマイナスな点を、ちはやがプラスな点をチェックするために、地球に舞い降りたのだった。プラスを1万個チェックできれば、アーシアンたちは生き残れる……。なんとしてもいい点をいっぱい上げて、アーシアンを救いたい。ちはやはそう思った。
で、どうしたか。一生懸命、影艶といちゃいちゃするのでした。……え!?
そうなのだ。このふたり、せっかく地球に来てるのに、全然仕事しないのである。してるのかもしれないけど、痴話ゲンカしたり悩んだりトラブルに巻き込まれたりするけど、採点している様子はほとんどない。期日はいつか知らないけど、1万個って結構あるから、熱心にやらなきゃダメじゃないか?
演劇マンガ『ガラスの仮面』(美内すずえ、白泉社)に例えてみよう。女優を目指すマヤ。彼女は毎週、公園で桜小路くんとデートをしていました。おわり。だとしたらどうだろう? 「それって演劇漫画じゃねーじゃん!」である。設定とストーリーは足並みを揃えなければ意味がないのだ。
一方で、『悪魔の花嫁』(原作:池田悦子、作画:あしべゆうほ、秋田書店)のデイモス。彼は愛する美奈子に、「人間界なんか捨てて俺の嫁になれ」と説得するために、人間の愚かさをこれでもかこれでもかと見せつけている。こっちの方がよっぽど「マイナスのチェック」を真面目にやってる感じがするな。
せっかく好き合う者同士が、アーシアンの存続をめぐって対立しているのなら、「どうだ、こんなにアーシアンの心は汚いんだ」と見せつける影艶に、彼の調査を逆手にとってちはやが結果をプラスに転じてみせたり、マイナスをつけるために影艶が仕掛けた罠をちはやが妨害したり怒ったりして、ふたりの愛憎あふれるケンカになったりとか、設定を生かして、いくらでも知恵とスリルと萌えを織り交ぜた、名作に仕上げることができたはずなのだ。
しかし残念なことに、『アーシアン』は、設定の面白さ、「アーシアン」という言葉の美しさ、繊細な絵の美しさで、ほぼ全ての才能を使い果たしてしまったようだ。もしも少女マンガにもう少し原作制度が浸透していたら、この『アーシアン』を名作にしつらえることができたのかもしれないのに。
このマンガの中身は、少年たちが悩んだり考えたり切なくなったりする話で、少女マンガの王道といえば王道だ。でもなまじ設定が壮大だっただけに、そしてそこに超大作になったかもしれない質の高さがうかがえるがために、メイ作の称号を受けてしまった切ない漫画である。
■メイ作判定
迷作:名作=8:2
和久井香菜子(わくい・かなこ)
ライター・イラストレーター。女性向けのコラムやエッセイを得意とする一方で、ネットゲーム『養殖中華屋さん』の企画をはじめ、就職系やテニス雑誌、ビジネス本まで、幅広いジャンルで活躍中。 『少女マンガで読み解く 乙女心のツボ』(カンゼン)が好評発売中。
高河ゆん・尾崎南・CLAMP、誰派でしたか?
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