女子におけるファッションとは? 快楽と義務を描く『神は細部に宿るのよ』
――幼いころに夢中になって読んでいた少女まんが。一時期離れてしまったがゆえに、今さら読むべき作品すら分からないまんが難民たちに、女子まんが研究家・小田真琴が”正しき女子まんが道”を指南します!
<今回紹介する女子まんが>
久世番子
『神は細部に宿るのよ』1~2巻
講談社 各700円
以下の項目に1つでも当てはまるものがあれば、あなたはこのマンガを読んだほうがよいでしょう。
□ 試着室で服が脱げなくなったことがある。
□ なんとなくグレーの服が多い。
□ とりあえずデニム。
□ コートのベルトはすべて撤去。
□ 洗濯機で洗える服が好き。
□ ワンピースは楽だから好き。
□ クローゼットの中でいちばん高価な服は喪服。
□ パジャマじゃないのにパジャマに見える服を買ってしまったことがある。
□ ダウンベストの意味がわからない。
□ 夏こそ重ね着。Tシャツ1枚はもう無理。
チェックした項目が多ければ多いほど、あなたがいるのはオシャレの川下。ファッションは好きなの、だけどうまくいかないの……そんな「オシャレの川下在住」の生き様を切なくも愉快に描くのが、久世番子先生のエッセイコミック『神は細部に宿るのよ』です。2012年の初笑にぜひ。
女子一般におけるオシャレとマンガとの関係性については、いくつもの切り口から語ることができます。たとえばかつて少女マンガは、少女たちのオシャレのお手本であった時代がありました。またかつてわたしがとある友人に「なぜ一般女子はある時期を境にマンガを読まなくなってしまうのか」と問うたときに、彼女は「現実の男に忙しくなるから」だと答えました。なるほど、現実の男=ファッションや美容にお金や時間を割くようになると、相対的にマンガは読まれなくなってしまうと言うのです。
久世先生は自虐的に「オシャレの川下在住」などと言いますが、でもそこで描かれるのはごくごく一般的な女子におけるオシャレとその苦悩です。本作に登場するファッションもモードというよりかはコンサバティブ。雑誌で言えば「MORE」(集英社)「with」(講談社)あたりから「CanCam」(小学館)「JJ」(光文社)あたりとなりましょう。彼女たちにとってオシャレは快楽であると同時に義務でもあります。その快楽と義務のせめぎ合いを、久世先生は普遍的な笑いへと転化するのです。
たとえばある会食で久世先生の隣に座った女性がオールインワンを着ていました。「その服トイレ大変ですよね!?」と質問する久世先生に「大変ですよ!」と答える女性。「ああやっぱりそうなんだ〜〜」と納得する久世先生ですが、と同時に「オシャレは我慢!!」だとも悟ります。ところがまた別の話では、「オシャレの川下住人は春秋服の所有率が低いのよ!」と説く久世先生。では春と秋はどうやり過ごすのか? 寒かったり暑かったりするけれど、夏服や冬服で「それなりにやりすごす……」。そこで久世先生ははたと気づきます。「我慢してるのにオシャレじゃない!?」。
’90年代の「FEEL YOUNG」(祥伝社)系オシャレマンガ家のように「わたしたちはマンガ家だけどオシャレなのよ!」とエクスキューズとして過剰にエッジを利かせるわけでもなく、また大御所たちのように高価なブランドもので武装するわけでもありません。オシャレとマンガ(お仕事としての、またはややオタクな趣味としての)とのバランスにおいて、実は久世先生の立ち位置は非常に貴重です。本作は一般的な女子の目線と、稀有な笑いのセンスを併せ持つ久世先生だからこそ描ける、もうひとつの『Real Clothes』であるのです。
余談ですが、本作にはとあるパーティ会場で久世先生が見たという、松田奈緒子先生のファッションが描写されています。あるマンガ作品のコスプレなのですが、そのチョイスが絶妙。なんと山岸凉子先生の『天人唐草』なのです。松田先生のマンガ愛をうかがい知ることのできる、素敵で笑えるエピソードであります。
コンサバこそホント難しいと思います
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