“セックスに振りまわされる生き物”の本質を描いた『文字に溺れて』
■今回の官能小説
『文字に溺れて』石田衣良(『sex』に収録)
自身の性の目覚めを覚えているだろうか? 土手に捨てられていたエロ本、両親の寝室、のぼり棒……それらを体感したときのことを思い返すと、「見たい」「聞きたい」という前のめりな感情と同じくらい「イケないこと」という認識がある。だから大人になってからのセックスも、どこかいびつな照れくささや後ろめたさを引きずるのだろうか?
直木賞作家・石田衣良の官能的な短編12作品を収録している『sex』(講談社)は、どの作品も、痛々しいくらい、セックスに対して真っ直ぐだ。なかでも『文字に溺れて』は、そんな「イケないこと」と「気持ちいいこと」の狭間でぎこちなさを感じている、多感な少年少女のみずみずしい性が描かれている。
主人公の雄一郎は、同級生よりも感受性が高い。アダルトDVDを見るより官能小説の描写で感じることのできる、性のセンスが高い男の子。単調な粘膜のこすれ合いより、心の深い部分を往復することのほうが何倍も気持ちいい……大人になっても気付かない人が多い性の神髄を、わずか14歳にして、官能小説という手段で学習してしまった。
雄一郎の中2の夏は、図書館通いに費やされる。終日もんもんとしながら静粛な空間のなかで官能小説を読み、夜になると溜め込んでいた快感を発射させる。彼にとっての図書館は、長いながい前戯の時間。いつものように図書館で官能小説を読んでいたある日、同級生のアスカに背後から声をかけられる。びくつきながらも話をしてみると、どうやらアスカも雄一郎と同類らしい。エロDVDよりも官能小説で感じることができ、毎日オナニーをし、14歳という年齢に見合った、性に対してのピュアな興味を持っている。意気投合したふたりは、毎日図書館で待ち合わせて本を読み、互いの性を語り合う仲になる。
人の数もまばらな階の書棚に埋もれ、雄一郎はミシェル・ウエルベックの『プラットフォーム』を読み、アスカは渡辺淳一の『失楽園』を読む14歳の男女。互いに芽生えた性欲と興味が高まり、アスカは雄一郎に提案する。
「じゃあさ、わたしのまえでオナニーしてみせてくれない」
その対価として、雄一郎はアスカの胸を見せてもらう。シャツのボタンを外し、スポーツブラを持ち上げたアスカの胸は、性の対象として初めて見る生身の女の体。股間を往復する手が速まる雄一郎。まるで科学の実験を眺めているようにアスカは言う。「それが気もちいいの」。雄一郎の様子を凝視しながらアスカも自身の乳首をこね回し、その様子を雄一郎も見る。イケないことと、気持ちいいことを共有し合う時間と、関係。果てたあとのふたりは、恋人同士になることを確かめ合う。
粘膜と粘膜のこすれ合い。人はその事柄に憧れ、没頭し、夢中になる。イケないことも正しいことも曖昧な境界線を敷いたなかで生きていた、思春期のころ。
「でも、このバカらしさがほんとうで、きっとあとの世界が全部嘘なのだ。人間は一生、生殖や欲望に振り回されて生きる」
動物ならば決して悩むことのないセックスという行為に、私たちは滑稽とも思えるくらい振り回されている。
オナニー見せプレイはレベル高いッス
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