干されすぎて「パリパリになっちゃった」、田原俊彦が”ビッグ発言”を振り返る
爆笑問題がMCを務める、有名人の知られざる一面やスゴい家族を紹介するバラエティー番組『爆報!THEフライデー』(TBS系)が21日にスタートし、第1回目のゲストとして往年のアイドルでここ最近復活の兆しを見せる田原俊彦が登場した。
田原は、高校卒業後に1979年にジャニーズ事務所入り。近藤真彦・野村義男との「たのきんトリオ」と呼ばれ絶大な人気を得て、80年に「哀愁でいと」でソロデビュー。同年から86年まで7年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場するなど一躍トップアイドルに昇りつめ、俳優としてもフジテレビ系『教師びんびん物語』シリーズなどの好演が評価されたが、94年3月にジャニーズから独立。しかし、その前年10月に誕生した長女(綾乃美花)についての記者会見で、田原の芸能人生は天国から地獄に変わってしまった。
同会見で田原は、「何事も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになってしまうと……」と語り、いわゆるこの”ビッグ発言”がワイドショーなどで繰り返し取り上げられ、「生意気だ」「何様のつもりだ」と大バッシングを受けた。さらに、ジャニーズから独立したタイミングも重なりマスコミからの”サンドバッグ状態”となってしまう。その発言が響いたのか、95年の「an・an」(マガジンハウス)「嫌いな男ランキング」で1位となり、メディアへの露出が激減。以後、17年もの間テレビ業界から干されている。
同番組では問題の会見をノーカットで放送し、当時の報道で意図的に編集されていた部分をあぶり出した。
ノーカット版によると、田原は結婚から出産、会見に至るまでの経緯を説明し、「僕のエンジェルちゃんのためにがんばってみたい」とあいさつ。出生時の体重が3,320グラムで、出産には産まれてから30秒後になんとか立ち合え、「(僕に)似てるところもあれば、ワイフに似てるところもある」など記者からの質問にもしっかり答え、家族に取材攻勢があったことが苦痛だった、などと心情を吐露。「プライベートな部分は見せたくないのが本音。それが僕の生き方」のため、会見以後に行う挙式・披露宴の取材は辞退することを通達した。妻との出会いなどを明かし、「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕ぐらいビッグになっちゃうと、そうはいきません」と田原流ジョークを発言した。
田原によると、マスコミが自分の母親や妊娠中の妻へ過剰な直撃取材を繰り返したことが会見での挑発的な態度につながったが、当時を振り返り「しゃべらなかった僕がいけないのかなって。僕らは打たれっぱなしなのよ、むこう(マスコミ)が正義だからね。(17年間干されて)パリパリになっちゃったよ」と苦笑した。
娘・綾乃についても初めて語り、「芸能界入ったら縁切るぞ! って言ったら先に切られた」と最近、会話すらないことを明かし、「コンビニ行ったらあれっみたいな。『何水着になってんだ!』」と芸能界デビューを知らされていなかった様子。爆笑問題・太田光から「干されるまで守ってた娘がデビューしちゃった。こんな間抜けな人生ってないよな」とツッコまれると、田原は「楽しいな!」と満面に幸せそうな笑みを浮かべていた。
娘の芸能界デビューで吹っ切れたのか、”ビッグ発言”の真相を語る気になった田原。パリパリになってからの今後の活躍はいかに?
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氏いわく、ジャニーさんは「顔が四角くてペヤングソースやきそばみたい」
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