女としての致命傷は顔じゃない! ブスで損ばかりでも男を見る目で挽回できる!?
加護ちゃん……。「加護ちゃんが昨日の昼ごろ、自殺未遂を起こして病院に運ばれた」というニュースを、テレビで見て「……そうなんだ……」と、なんとも言い様のない気分に陥った。「なんで……なんで」少し前に、グラビアアイドルのUが首を吊って死んだ時も、私は同じ様な疑問を持った。
「……なんでそんなかわいいのに、そんな人生歩んでんの!?」
……女の人生とは。
「顔がかわいかったら、あらゆる事がどーにでもなって、楽しい人生が歩めるのでは?」
と、常々私はそう思って生きてきた。だから、かわいい女の子になりたいなりたいなりたいと、思い続けて、とうとう42歳になってしまった。中年である。にもかかわらず、しぶとく今だに「ブスは損をして、かわいい子が得をする」と、そう思ってる。いや、これは真実である。ブスよりもかわいい子の方が得をする。そういうもんである、世の中は。……しかし。得はするけど、楽しい人生を歩めるかどうか。それは定かではないらしい。得はするけど「幸せ」になれるかどうかは、お約束できませーん、って、人生そういうもんらしい。ああ、やっぱりそうなんだ……って、気が付くの、もしかして遅すぎか?
とどのつまり言い切ってしまえば、女の人生はいくらかわいくても、学歴高くても、家柄が良くても、金持ってても、才能があっても、それから、一流企業に勤めてても、性格良くても、料理上手でも、それからそれから……まぁ、とにかく。女というものは、いくらそんなふうであっても。
「男を見る目がないとぜんぜんダメ」
これに尽きると思う。男を見る目がない、というのは、それは、女として致命傷なのだ! 42年間生きてきて、これは確信して言えること。つまりは、たとえ顔がブスでも、男を見る目のある女なら幸せになる可能性は全然ある、ということである。たとえそれまで、ブスだっつーことで損ばっかしてきたとしても、男見る目がある女だったら、そんなのいくらでも挽回できる、ってことだ。
じゃあ、どういう男だったらいいのか。42歳の今の私がつくづく思うのは、「男は、顔でも金でもなく、やはり甲斐性である」……これにつきる。断言。人生行きてりゃいろんな場面に遭遇するだろう。冠婚葬祭、親の介護や遺産相続、そして「あたし、先月から生理がこないの」などなど、そんな時。そんな「甲斐性の見せ所な場面」に遭遇した時、無様でもいい、男としての「おとこ仕事」をトンズラせずに、男の甲斐性を見せられるかどうか。それが一番重要だろう、って思うのだ。
これはやはり、娘を2人持つ親になってつくづく考えるようになったことである。甲斐性なしの男には、うちの娘を嫁にはやれねぇ、そんな男をもし娘が連れてきちゃったら、一体私はどんな対応をするだろうか。きっと、ちゃぶ台は豪快にひっくり返され、湯飲み茶わんが宙を飛び、「やめてマリエちゃん!!」と泣き叫ぶ娘を縁側から放り投げ、紹介された男の胸ぐらをつかみ、それをやめさせる夫の金玉にケリを入れ……。家の中が「寺内貫太郎一家状態」になるのは、免れないだろう。私、小林亜星か。てゆうか、そんな男を連れてこない女に育てなければ。それが親の役目というものだ。「高学歴高収入」とかそんなんでなく、「甲斐性のある男」。そんな男を掴まえられる女に育てなければならんのだ。
そんなわけで私が思うに。「男を見る目がない女」になっちゃった子たちって言うのは、どうもみんな自己評価が低い。低すぎる。相当かわいかったり美人だったり、才能もあったりするのに、なぜかみんな「自分のお値段」が低すぎるのだ。結局そうなっちゃう理由は「愛された、かわいがられた、大事にされたって記憶がないから」とか、そういうベタな所に行き着くんだろうか? 私も別に、自己評価高いわけでもないし、子ども時代なんてロクなもんじゃなかったけど、でもやっぱり「クズみたいな男」なんてヤだけどねぇ。もう、ここまでくると「好みの問題」になっちゃうんだろうか。そうなっちゃったら、何も言えないけどねぇ。「ろくでもないクズみたいな野郎が好み」っていうんなら、もう、どうしようもないんだけど。まぁ、私の娘がそんな趣味だったらとても困るが。
ところで、『ワイドスクランブル』(テレビ朝日系)を見て得た情報なのだが、加護ちゃんが同棲してた男というのが、華原朋美の元カレなんだそうである。なんていうか、脱力するしかないような、そんな気分に陥った私であった。「そういうタチの女」を、嗅ぎ分ける術に長けてる男っているんだなぁと、なんか感心せざるをえないというか……。