近藤春菜でもオンナになれる! 「CanCam」という恐ろしいマジック
今月号の「CanCam」、表紙には「23歳・25歳・27歳 何が違う? どこかが変わった?」という特集名がどーんと幅を利かせております。で、筆者がみなさまの代わりに読んだ結論、「何も違わないし、変わっていない」。というわけで、この特集はするっと無視して読み進めていきたいと思います。しかし、今月号も相も変わらず「Can流」という単語があふれています。「CanCam」編集部はいつになったら、「Can流」が流行らないと諦めてくれるんだろうか。そんな思いを胸に今月号もレビューさせていただきます。
<トピック>
◎まさか私がCan流に!?
◎あなたに必要な服はコレ!
◎「いい会社」「いい学校」って言うけど、幸せの基準って何ですか?
■「没個性」が「CanCam」の使命ですから
まずは巻頭の「まさか私がCan流に!?」を見てみましょう。ゴスロリ界のカリスマ・青木美沙子、お笑い界からはハリセンボンのふたり、声優界から豊崎愛生、ギャル界からは三浦サリーという4組を、「CanCam」的なコーディネートと洋服で変身させるという趣旨のようです。
早速”アフター”姿を見てみると……ハリセンボン・近藤春菜がかなりの別人! もう、「幸楽」のラーメンを作る人(本当はもともと作っていない)とは思えない、完全にオンナの顔になってます。そしてゴスロリ界のプリンセス・青木は、夜遊びしても飲み物を取りに行かされる系の冴えない女子大生みたいになっているし、三浦サリーに至っては典型的な丸の内OLになってます。改めて「Can流」に乗っかってしまうと「フツーのかわいさ」は手に入れられるものの、「らしさ」は跡形もなく失われていくということを認識させられます。
今月号の「JJ」(光文社)がギャルカルチャー、ストリートカルチャーを取り入れたミックスカルチャー的な展開を始めたというのは既報の通りですが、「CanCam」はその真逆。各カルチャーの代表格を無理やり「CanCam」に押し込めたという形です。それによって、何が浮き彫りになったかといえば、「Can流」的なかわいさは自分を殺す、ということのみ。でも「個性」を求める人が「CanCam」を読むとは思えないから、これでいいのでしょうか。
■姉妹誌で企画を使いまわし?
先日レビューさせていただいた「AneCan」(小学館)の「シンプルライフ」特集で、「AneCan」らしからぬ収納企画が掲載されていたとお知らせしましたが、なぜか今月号の「CanCam」にも同様のページがあります。「あなたに必要な服はコレ!」というタイトルですが、収納の基本や洋服の断捨離などを展開していて、「AneCan」とデザインまでそっくり! 姉妹誌とはいえ、天下の小学館さまが同じ企画(しかも同じ日にまとめて撮影したのではと思うほどの類似)を掲載するとは思いませんでした。
■仕事も進学も「かわいく」?
ここで改めて「Can流」という言葉をおさらいしてみましょう。
「かわいくなるとHAPPYになれる!」→「HAPPYな女の子は、周りもHAPPYにする!」→「周りがHAPPYだとさらに自分もHAPPYになる!」→「HAPPYになるともっとかわいくなる」
このスパイラルこそが「Can流」なんですって。何回読んでも意味がよくわからないんですけど、「女の子の頭には、『かわいい』と『HAPPY』があればいいんでしょ」と言われているようで、いやはやなんとも。
そして今月号の特別付録「どーする? どーなる? 私の進路 『いい会社』『いい学校』って言うけど、幸せの基準って何ですか?」の表紙には、「Can流 就職・転職・進学ナビ」や、「仕事も勉強も『HAPPYな人生」に直接つながる重要な要素」と書いてあります。なんか、「Can流」というフィルターを通すと、人生の節目である進学・就職も「かわいく、HAPPY」に決めなきゃいけないのか、と不安になります。
で、何が「いい会社」で「いい学校」なのかといえば、ひとつひとつの記事も特に読ませるものでもなく、よく分かりませんでした。トリビア要素が多く、「ユニリーバはゴミを16通りに分ける」「伊藤忠商事の平均年収は1,254万2,000円」「明治学院大学には佐藤可士和がデザインしたグッズがある」など、必要ない知識を得てしまいました。「CanCam」で言う、「いい学校」「いい会社」の基準が何となくわかったような気がします。
今月号はファッションページが充実し、ワンピースやふんわりスカートなどの甘めのコーディネートに「Can流」という文字を貼り付けておけば、それで成り立ってしまった「CanCam」。エビちゃん旋風という絶頂から転落して長い迷走期間に入ってますが、まだまだ出口は見つからないようです。筆者から見れば、「Can流」「かわいい」「HAPPY」という言葉の前に編集側が思考停止しているように思えてなりません。とりあえず、「Can流」という言葉を捨てれば何か見えてきそうな気もするんですが、どうなんでしょう。
(小島かほり)
春菜の二重アゴまで消えていたという不思議
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