ジャンプ編集部に直電!? 木村拓哉のあり得ない伝説の真相
何をしてもクールでカッコいい男・SMAP木村拓哉。そんな彼の素の部分が垣間見えるとファンから愛されているのがラジオ『WHAT’S UP SMAP!』(TOKYO FM)だ。
1995 年1月、木村が22歳のときにスタートしてから約16年半、アイドルとしては禁断の下ネタや、ドラマ&レコーディングの裏話などを”ポロリ”しては世間を賑わせてきたこの番組。企画書の段階から制作に携わってきたのが、番組内ではもはやおなじみの存在であるディレクター・”クリリン”氏。そんなクリリン氏が木村に引き合わせ、台本を担当してきたのが、いまやSMAPのみならずジャニーズタレントにもなじみの深い有名放送作家の鈴木おさむ氏だ。
この3人の力が集結し、この番組が作り上げられたといっても過言ではないわけだが、今回、社内の部署移動により”クリリン”こと栗原氏が番組を”卒業”することに。最終日となった7月1日の放送には鈴木おさむ氏もスタジオへ駆けつけ、楽しい思い出話に花を咲かせた。
まず木村がもっとも心に残る「伝説」としてあげたのが、「KANSHAして」事件。いわずもがなSMAPの16枚目のシングルだが、この発売を記念して立ち上げられた企画がなんと……
木村「『大顔射祭』だよ。すごくない!?」
当然ながらこの企画を考えたのは鈴木おさむ氏。後日、彼のもとにSMAPの”ウルトラマネージャー”飯島女史から電話がかかり、とにかく「半端なく怒られた」という。
鈴木「そのときの名言がね、『やっていい下ネタと、やっちゃダメな下ネタがあるでしょ!? 大顔射祭はダメ~!!』って。大顔射祭、って言ったからね。電話口で」
木村「え、むこうが? それは、大顔射の経験アリだな」
と、またしても激怒されそうな話題で盛り上がる男3人。一方、鈴木氏の心に残る『WHAT’S~』の思い出は、いまだに集英社の社員から「伝説になってますよ」と言われてしまうこんな事件だという。
鈴木「『ONE PIECE』を拓哉が読み始めたころ、(著者の)尾田栄一郎さんが『乗組員がひとり減る』みたいなことをジャンプフェスタで言ったっていって、『それが誰なんだ?』って話で盛り上がって、集英社の編集部に電話したじゃん。マジで」
木村「したよ」
鈴木「あれはダメ(笑)!! 栗原さんもどんな電話か言わずいきなりジャンプの編集部に回してもらったんだよね。で、『木村拓哉なんですけど、降りるの誰ですか?』って。いまだにあれは編集部で伝説になってるって」
ちなみにこの「突撃電話」が放送されたのは今から8年前、03年の6月13日のこと。『Myojo』(集英社)の木村の連載「開放区」を担当していたKさんに電話をかけてジャンプの「ONE PIECE」担当者へ話を聞いてもらった木村。しかし担当者から「それだけは教えられません! たとえ木村さんでも……勘弁してください!」と泣きが入り、結局答えは得られなかった……という結末だった。
これ以外にも、まだ世間的には未発表だった「らいおんハート」や「オレンジ」などをレコーディングしてきた際に、「フルコーラスの木村拓哉ソロバージョン」を勝手にラジオで流してビクターから怒られたり、木村主演のドラマがまだ中盤にも関わらず「最終回予想」の企画でドンピシャの答えを放送してしまったり、木村の具合が悪い日にはかかりつけの医者をスタジオに招き、お尻に注射されるシーンを実況放送するなど、とにかくこの番組は通常ではあり得ない伝説を作ってきたのだ。
木村「このラジオが元になって、週刊誌とかで叩かれた事も何度もありますからね。クリリンには、たくさんの迷惑をかけてもらったな、っていう感じですね」
こんな憎まれ口(?)をたたきながらも、栗原氏と歩んで来た16年半を愛おしそうに振り返った木村。番組にとっても、彼自身にとっても、栗原氏は大きな存在だったはずだが、こんな明るい別れ方も木村らしいといえるだろう。
これまで続けてきた「ワッツ海賊団」(※このラジオで、木村は海賊団のキャプテンというポジションを担っていた)を一旦解散すると宣言し、「来週からは新世界ですよ!」と語った木村。次週からこの番組がどう生まれ変わるのか、今から楽しみだ。
サイ女への突撃電話、お待ちしてます
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