理想の女性像で読者を追い詰める? 「Domani」渾身の知花くらら特集
今月の「Domani」、特集は「35歳・夏は”気持ちいい”私!」というひき網漁法。「気持ちいい」というぼやっとした言葉でくくっておけば、何かしら引っ掛かるのでしょう。「涼しいのが気持ちいい」「白シャツが似合う私が気持ちいい」「いい女気どりが気持ちいい」。これらすべて筆者が韓国ドラマ見ながら適当に書いた文句ですが、なんか「Domani」お得意のポエムの出だしっぽいですね。私、いつから「Domani」色に染められていたのかしら?
<トピック>
◎35歳・夏は”気持ちいい”私!
◎知花くららのわたしのいちばんだいじなもの
◎真夏の”これ買う”確定申告
■運転手の加齢臭vs香水の残り香
今月号は表紙に「35歳、気持ちよくなきゃ、いい女になれない!」というキャッチまで付けられて、大特集に力が入ってます。と思いきや、今月号には「知花くららのわたしのいちばんだいじなもの」と18ページも知花をクローズアップした企画があり、度肝を抜かれました。なぜ、「わたしのいちばんだいじなもの」がひらがな表記なんだという疑問は心に刺さったままですが、それよりも35歳を大々的に謳っている「Domani」のメインモデル知花が現在29歳という事実に違和感を感覚えたのは筆者だけでしょうか。アデージョ・艶女という言葉を生み出した、伝説的短命女性誌「ニキータ」(主婦と生活社)が10代の外国人モデルを表紙に起用していたこと(ちなみに読者層は30代後半)よりかは幾分マシかと思いますが……。
18ページもの間では「白シャツ」「メガネ」「香りを纏うこと」などについて語ってます。もし筆者が「香りを纏うこと、について語ってください」と言われたら、「何を語ったら正解なんですか?」と言ってしまいそうですが、知花は「たとえば、タクシーを降りる瞬間に、人知れずそっと耳後ろに香りを纏う。さりげないのに女っぽい」と自己陶酔中。さすが。いきなり残り香を置いていかれた運転手のことなんて考えちゃいない感じが、「Domani」女らしくてリスペクトです。「いい女」は周りのことなんて考えてちゃダメなんです。
■なぜ美女はチャリティーに辿りつくのか
まだまだ続く、知花くらら企画。ロングインタビューページではなんともデジャブ感のある発言が飛び出しております。
「2006年にミス・ユニバース世界大会2位に選ばれ、うれしかったのと同時に、いわゆるゴージャスでセクシーな女性像を求められている気がして」
「本来は、ゆる~い性格、どこか無理をして演じていた自分がいて、最初の数年間は苦しみました」
「(震災後、宮城県南三陸町に行ったことについて)はじめて現地にはいったのは、国連の活動でした。(略)私自身は個人的な寄付もそうですが、生野菜支援を定期的なものにしようと現在、仲間たちと枠組み作りをしています。そのほか、メークとファッションの支援が何かできないかと。困難な生活を続けていても、女性はきっとおしゃれがしたいはず」
嗚呼、藤原紀香→アンジェリーナ・ジョリーラインに完全に乗ってますね。世界共通、美人というのは人間性が軽んじられるのか、「私はほかの美人とは違います」とばかりに、自己嫌悪を乗り越えてチャリティーに辿りついたストーリーを語りたがりますよね。でも読んでいて感じたのは、表層的でただただ「Domani」が掲げる理想像をなぞるようなインタビューだということ。これが2011年版の理想の女性像って示したかっただけ?
■理想という名の現実逃避?
今月号のファッションページは「真夏の”これ買う”確定申告」に注目してみましょう。ここにも「Domani」が掲げる女性像が色濃く出てます。「Domani」が大好きな「きちんといい女」「こなれたいい女」というパターン別の着まわしコーデ企画ですが、今回は設定よりもシチュエーションにフォーカスしたいと思います。
「リーダーの遅刻なんてありえない! 早目の出勤で本気度を見せる」
「旦那と久しぶりのデート。昼から会える”贅沢”に胸の鼓動が高鳴る」
「外回りの途中に話題のカフェ『サンキャトルヴァン』に。偶然見かけた元彼に懐かしい記憶がよみがえる」
そう、女はリーダーとして働き、旦那とデートするぐらいラブラブで、昔の恋をさらりとかわせるぐらい余裕が無くてはならないんですよ。大変ですよ、そんな人生。これを読んで、「なんて私の人生は地味なんだ」「なんて私は頑張っていないんだ。こんなにうまくいっていないんだ」と思う読者がいたら、それは不幸です。こんなに完璧ライフスタイルばかりを啓示して、女性誌は現代を生きる女性の首を締めすぎですよ。夢を見させる装置としては現実的すぎるし、現実に寄りそうにしては理想の押し付けが強すぎ。「Domani」の理想像に読者がついていけないのでは、と心配しました。
あまりにパーフェクトなライフスタイルを提示し続ける女性誌の罪というのは、至るところで言われており、作り手としてもネタに走ったり(光文社系)、エロに走ったり(「婦人公論」)、知的を装ってみたり(幻冬舎系)して模索している中、「Domani」を擁する小学館だけは頑なに指針を変えていないように思います。それが吉と出るのか、凶と出るのか。でも大半の日本人というのは思っているよりもはるかに保守的ですから、小学館系の女性誌も一つのカルチャーとして残っていくのでしょう。日本人女性は自ら生きづらい環境を好む、マゾ的な要素を持ってるってことで今月のレビューを締めくくらせて頂きます。
(小島かほり)
「Domani」のパリ愛は異常
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