金で解決するか、組織を潰しにくるか……知られざる芸能裁判の実態
――『ジャニーズおっかけマップ』『タカラヅカおっかけマップ』や、”松田聖子の愛人ジェフ”による『壊れた愛』など、芸能人の研究本・暴露本など問題作を次々と刊行してきた、鹿砦社・松岡利康社長。”言論の自由”を守るために闘ってきた、社長の壮絶出版人生に迫っちゃうぞ~!
【芸能裁判編】
「芸能人にプライバシーはない」のポリシーのもとに、鹿砦社社長の松岡利康さんは、数々の暴露本を作ってきました。いかなるときもこの考え方を貫き通しているからこそ、『ジャニーズおっかけマップ』や『タカラヅカおっかけマップ』といった個人情報でもおかまいなしに掲載した本を出版したわけです。
「芸能人っていうのは、存在自体がもう、プライバシーがない存在でしょう。”芸能人”っていうのは、四六時中、周囲の人の関心の対象なわけだから。今ならブログで自分の情報を出しているから、余計問題が複雑になるよね」
と話す松岡さんに対し、元『噂の真相』編集長の岡留安則さんは、『平成の芸能裁判大全』(芸能裁判研究班・編著/鹿砦社)のインタビュー内で、これとは違った考えを示しています。スキャンダルのタブーに斬り込む雑誌として有名だった『噂の真相』(1979年~2004年)の作り手としては、やや意外なような……。
【岡留安則氏の発言一部引用】
「(鹿砦社は)名誉毀損ということじたいが何かということがよくわかっていない気がする。特に、公的目的、公益性の点においてね。宝塚の団員の住所を公開したからといって言論活動にはならないと思うんだけどな」
「僕はわりと原則的なスキャンダリスト。松岡はアナーキーなスキャンダリスト。なんでも暴いちゃえばいいと思っているフシがある」
「松岡自身の性格がマゾヒストだという説明のほうがわかりやすい。自虐的で訴えられることに快感を感じている(笑)」
これに対し、松岡さんは、
「岡留さんと僕は、生き方が違うからなぁ。裁判での戦い方も違う。彼は緻密に計算して作戦を練るタイプで、僕は岡留さんが言うところの、いわゆる自爆テロ型。つい感情的になって、挑発に乗ってしまうことも多いから」
岡留氏よりも、松岡さんの方が、多くのスキャンダルを暴露しているのでしょうか。
「そうは言っても、岡留さんだって相当いろいろ書いてるよ! 僕よりもたくさん裁判も抱えてたし。ただ、僕の方が裁判の数こそ少ないけど、大手と戦うことが多いんだよね。対して、向こうは文化人や政治家などの個人とやり合うケースが多い」
さらに、裁判で戦い抜く精神力についても、双方に違いがあるとのこと。
「岡留さんの方がナーバスだね。この本のインタビューの中で岡留さんは、『僕は鈍感な性格なのかな。オドシの電話やFAXは来るけど、別に感じないけどねえ』なんていってるけど、彼は僕よりもずっとナーバスだから、『噂の真相』を辞めて、沖縄へ引っ込んだんでしょう。僕だって、いつまでもこんなことやってないで、早く辞めたいよ(笑)」
何かと違う部分の多い、松岡さんと岡留氏ですが、前回、松岡さんが発言したように、芸能人側にヤリ手の弁護士がつくと、メディア側は不利になる、という点では2人の考えは一致している模様。
「岡留さんも言ってるけど、多くの裁判では『この部分はこちら側の勝ち、この部分はあっちが勝ち』という判決になるから、白黒つけられない。つまり、弁護士がどれだけ痛いところを衝くか次第で、賠償金が上がったり下がったりするんだよね。文春ジャニーズ裁判がまさにそれで、結果的に文春がジャニーズに支払う損害賠償金が、最初880万円だったのが120万円になった。これだけを見ると敗訴に見えるけど、”少年たちに飲酒喫煙させていた件”や”ジュニアの万引き事件”についての事実が認められなかっただけで、裁判のメインテーマだった、”ジャニーさんのホモセクハラ”については認められたわけだからね」
文化人から芸能人まで幅広い有名人との裁判を繰り広げた松岡さん、岡留さんの意見が一致したのは次の部分。
「一言に裁判と言っても、訴える側の覚悟によって展開が違うんだよ。簡単に言っちゃうと、民事裁判は結局カネの問題だから、原告も賠償金さえ支払ってもらえればいいというスタンスになる。でも刑事告訴というのは、被告人となると組織や会社を潰しかねないし、そのつもりでくるんだよ。僕のように逮捕や身柄拘束もあるしね」
さらに、「芸能裁判は見せしめに近いところがある。一度大きな裁判で芸能事務所が勝てば、メディア側が裁判を恐れて報道しなくなるから。僕とかが訴えられるのも、一種の見せしめだよねー」とボヤいていました。まだ、松岡さんは、岡留氏のように引退してどこかで隠居する生活は望めなさそうですね!
松岡利康(まつおか・としやす)
1951年9月25日生まれ、熊本県出身。同志社大学文学部卒業後、貿易関係の仕事に従事。サラリーマン生活を経て、83年にエスエル出版会を設立、88 年に一時期経営危機に陥っていた鹿砦社を友好的買収、同社社長に就任。05年にパチスロメーカー大手のアルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)を取り上げた『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』、球団スカウトの死に迫った『阪神タイガースの闇』などの出版物について、名誉毀損で神戸地検に逮捕、起訴され、有罪判決を受ける。「ジャニーズ研究会」も開設。
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