原発へのスタンスを問いかける、古典的名作『月の子』を改めて読む
――幼いころに夢中になって読んでいた少女まんが。一時期離れてしまったがゆえに、今さら読むべき作品すら分からないまんが難民たちに、女子まんが研究家・小田真琴が”正しき女子まんが道”を指南します!
<今回紹介する女子まんが>
清水玲子『月の子』1~8巻
白泉社/570円~610円
震災後、2つのマンガ作品が話題になりました。1つは山岸凉子先生の『パエトーン』。もう1つは三原順先生の『Die Energie 5.2☆11.8』。ともに「原発」を扱った作品であり、その先見の明に多くの人が驚いたことでしょう。前者は潮出版のサイトで無料公開中、後者は『三原順傑作選 (’80s)』 (白泉社文庫)に所収されています。これらと併せてお読みいただきたいのが、今回紹介する清水玲子先生の『月の子』(白泉社)です。1988年から92年まで「LaLa」(同)に連載された古典的名作ですが、いま見ても十二分に美しい絵はさすが。
舞台はニューヨーク。落ち目のプロダンサーのアート・ガイルは、ある事故をきっかけに謎の子ども・ジミーと暮らすようになります。時期を同じくしてアートの周辺ではポルターガイストのような奇妙な出来事が頻発。実はジミーは人外の力を備えた「人魚」であり、アンデルセンの『人魚姫』の主人公のモデルになったとされる人魚・セイラの子孫であったのです。そしてジミーの同族・人魚たちの間では、あの童話のように人魚と人間が恋に落ち、そして裏切られたとき、この星は「死の惑星」になってしまうと予言されていました。果たして成魚となったジミーは美しい女性へと変貌し、アートに想いを寄せるようになります。
ネタバレになってしまいますが、この物語のクライマックスは「チェルノブイリ」です。つまり「死の惑星」とは放射線によって水や土壌が汚染された状態を指します。風が吹けば桶屋が儲かる……ではありませんが、ではなぜ人魚が人間に恋をして、そして裏切られるとチェルノブイリ原発が事故を起こすのかは本書をご覧ください。とは言え、清水先生も単行本5巻P.141でおっしゃっているように、このマンガは「反原発マンガではないつもりです」。では一体なんの物語なのでしょうか? わたしは「選択」の物語だと思うのです。
本作にはいくつかの重要な分岐点があります。ジミーのきょうだい・ティルトは、止められていたにも関わらず、愛する者の命と引き換えに「魔女」へ魂を売り渡します。もう1人のきょうだい・セツは、本来ならばジミーと結ばれるべき人魚・ショナへの恋心に苦しみます。アートは迷った挙げ句に父のふるさと・ソビエトへと旅立ちます。恐るべき終局へと一直線に向かっていくにもかかわらずこの物語が美しいのは、登場人物誰もが利己的ではなく、「誰かのために」動いているからです。一見悪役であるところのティルトでも、行動のすべてはいちばん大切なきょうだい・セツのためであり、そのためならば命すら惜しみません。そして物語の最後、アートもまた……。
彼らの選択のすべての基準は「愛」でありました。本作にはアンデルセンの「人魚姫」の一節が引用されています。
「たった一つ こういうことがあるよ セイラ」「人間の中の誰かがおまえを好きになって それこそ お父さんより お母さんよりも おまえの方が好きになるんだね」「心の底からおまえを愛するようになって」「この世でもあの世でも いつまでも 真心は変わりませんと かたい誓いをたてさせて下さる」「そうなってはじめてその人の魂が おまえの体の中に伝わって おまえも人間の幸福を分けてもらえるようになるということだよ」
本作のラストは非常に曖昧です。ハッピーエンドにも見えますが、サッドエンドのようにも見えます。かつてはそれを批判する人もいましたが、3.11以後においてはその必然性がよくわかります。ティルトはこう言います。「この星の未来はまだ決まっていない だからこれから僕が決めるんだよリタ」。原発推進か、反原発かは本質的な問題ではありません。わたしたちのその選択は、「愛」によってなされたものか否か? 『月の子』は人々にそう問い掛ける、美しき希望と絶望の物語であるのです。
選択の基準はなんですか?
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