小洒落たメニューより胃袋を掴まれる「茶色い煮っころがし」への憧憬
先日、唐突に「銀行で待ってる間に読むみたいな雑誌」が読みたくなって、近所のスーパーで「ESSE」(扶桑社)を購入。表紙は最近、育児から仕事復帰したらしい瀬戸朝香。「仕事を休んでる間の育児で、色んな発見があった」「大好きなネイルなんて出来ない状態だけど、でもそれでもいい」など、別に何の新しい発見もない、ありがちな無難な内容のインタビューに「……こんなの読んで世間の主婦は楽しいんだろうか?」などと、さっそく毒をまき散らすかのような疑問を抱いてしまう。が、せっかく買ったのでソファーに寝っころがって熟読。主婦向け雑誌らしく「有名ブロガーの節約レシピ」特集で、工夫をこらしたメニューが充実の内容であった。が。
どれもこれも「子供向けみたいな甘ったるそうな味」のメニューばかりで、酒飲みの私には納得のいかないシロモノばかりである。「パパもこれで満足」みたいなメニューもあったけど、最近のパパはこれでOKなのか?? てゆうか私の胃袋が、ただ単に「おっさん的」すぎるだけなんだろうか。
「カラフルで工夫をこらした斬新なメニュー」よりも「……なんか普通のもんでいいんだけど」と思ってしまう自分。私が男だったら、カノジョや奥さんに間違いなく「なんかアンタって料理の作りがいがないんだよね~」とか言われてしまいそうである。そんな、「ママや子供が喜びそうなメニュー」が、どうもうまそうに見えない胃袋をしてる私には、「ESSE」を読む資格なんて、多分ない。最近じゃ「リサとガスパールの食器が毎号ついてくるマガジン」なんて売られてるみたいだけど、私が亭主だったらそんなかわいい食器に毎日毎日おかずを盛られてたら、テーブル引っくり返しそうになるのだが。
ところで、そんな私の胃袋をいつも唸らせるような料理を作る人がいる。
それは、映画『男はつらいよ』に出てくる「とらやのおばちゃん」である。映画を見るたびに、映画の面白さ以外にいつも「あああ、おばちゃんの作ったその、イモの煮っころがし、食いてぇ~~!!」だの、「その、おからの煮たやつ、ごはんに合いそうだよ~~!!」だの、常々、私は悶絶している。おばちゃんはいつも、店の奥の台所で、そんな「茶色系の煮物」なんかをデカい普通の鍋で煮込んでいるようである。多分もう、目をつぶってたって作れるんだと思う。そのくらい、何百回と、日々こさえてきたんだろうな、なんてしみじみ私は考える。とらやのおばちゃんみたいな料理が作れる女になりたいもんだなぁ、なんて、最近つくづく思う私、である。
ところで今思い出したんだけど、そんなメシの思い出。あれは確か、23、4歳くらいの時である。真冬の明け方。
酔っぱらって二日酔いで、フラフラしながら中野あたりを一人で歩いていた私。そんな時に「あんた、何やってんだ?」と、一人のじいさんに声をかけられた。「大丈夫か? どうせ新宿あたりで飲んだくれてたんだろう」などと言われ、「ちょっとうちに寄ってけ」と、そのじいさんの家に連れていかれたのである。なんで私もそのままノコノコついていったんだか……。多分、なんだかもう、何もかもどーでもいい、みたいな気分だったのかもしれない。
で、そのじいさんの古びた家に着いたら、中からばあさんが出てきた。(なんかまるで日本昔話みたいになってきた。まさに「じさま」と「ばさま」という感じである)で、その、ばさまは別に私の姿を見ても特に驚くでもなく、そのまま私をコタツに入れてくれ、そしてなんと「ごはんと、みそ汁と、なんかの煮物」を持ってきてくれたのである。
酒ばっか飲んでたせいで腹が減りまくってた私が、そのメシにがっついたのは言うまでもない。そして、その、あまりのうまさ、「なんでこんなにうまいんだ??」と、そんなワケの分からないうまさに、「うう~!!!!」と、むせび泣いてしまったのである。じさまとばさまは、そんな私を見て「若いからねぇ~、いろいろあったんだろうよ」などとボソボソ語り合っているのだった……若気の至りなのか、バカなのか……。あの出来事は一体なんだったんだろう。私がむせび泣いたのは、はたしてその「メシのうまさ」だけによるものだったのか……。
あの、じさまとばさまは、今でも元気でいるのだろうか? なんだか狐につままれたみたいな出来事だった。昔話のオチ的に、恩返しもできぬ間に、私は41歳になってしまった。
さて、そんなわけでさっきまで『男はつらいよ フーテンの寅』のDVDを見ていたのだが、なんとびっくり。冒頭の温泉場のシーンで、若かりし頃の樹木希林が女中役で出演していた。多分、トシの頃は18、19か、それともハタチくらいか。で、何がすごいかって、もう、この頃からすでに「ブス役」に徹しているのである。その腹のくくり具合に恐れ入った私であった。
「煮っころがし」の語感がそそる