タレた尻は「母親の勲章」? 中年女の尻に見る、羞恥、郷愁、攻撃性
かかとがガビガビにヒビだらけである。よく「末端をキレイにしてる女は美人」と言われるが、顔の手入ればかりでは女はダメなのだろう。今の私、美人にはほど遠い場所にいる。「子どもに手がかかって、そこまでケアするヒマがない」という言い訳は通用しない昨今、先日NHKの朝の情報番組にて「30過ぎた女のタレ尻をなんとかしよう!!」という特集があった。
タレ尻撲滅にあたり、視聴者代表の41歳の主婦がガードルやらサイズのあった下着、洋服選びで、「足でふんずけてつぶれた饅頭のようなケツ」を見事、目くらましでアゲアゲにしてみたり、元モデルの女性が、日常生活の中で常に、四六時中出来るエクササイズを紹介したり(仕事の打ち合わせ中もテーブルの下では脚のエクササイズ。って、これって、ちゃんと仕事に集中しろよって気もするが)。そして、スタジオでは視聴者からのメール・ファックスで「私のタレ尻話」なる、「ケツで失敗・恥をかいた話」が、面白おかしく紹介され、場を賑わせていた。「なんとかしよう!!」という特集のわりにはスタジオ内の女性アナやゲストが「分かっちゃいるけど、でもタレたもんはどうしようもないのよねぇ~」という雰囲気で、それが妙に親近感を沸かせるというか、そんなユルさが「いいカンジ」になっていた。私も見ていて、視聴者のケツ話に爆笑していた。そこへ、である。そんなホッコリ・ユルユルな、いい雰囲気の所に、である。
「40代の、3人のお子さんを持つ女性からのファックスで~す」と読み上げられたその内容が、一気に場の雰囲気がシラけるような「なんか、ふざけててすみません」と謝りたくなるような内容で……。まぁ要するに、その女性曰く「私は子供を産んで、見事にタレ尻になってしまったけど、でもこれは『母親になった勲章』と思っているから、ちっとも恥ずかしいなんて思っていません!!」という、そーゆー内容なのであった。
読み上げてた女性アナも「そういう考え方もありますね」なんてまとめてたが、それにつけても……。このファックスした女性に対する私の率直な感想は、「なんて図々しい女だろう」であった。「母親」という、それだけであらゆることが許されるなんて、それはかなり強引で傲慢なのではないだろうか? 私だって3人子どもを産んでるが、でもそこまでそういう……あ、私は「母親→勲章」的な考え方が、多分すっごい嫌いなんだ。なんて、たかだか「ケツ」が引き金になって、「母親というもの」について朝っぱらからいろいろ考えてしまった(ケツから母親論に話が飛ぶってなんかすごい……)。
で、その場で一緒にテレビを見ていた夫に、「こーゆー女の人ってどう思う?」と聞いたら、「この人のダンナがかわいそう」と即答された。大体こういう女性は、一時が万事、全てにおいて「母親」という基準で全てを括るので、それがとにかくイヤだそうである。その後、友人漫画家の大久保ニュー姐さんにも、この番組の内容を伝えた上で、同じ質問をしてみたら「その人のダンナがかわいそう」と、これまた同じ答えを即答された。しかも「そこんちってさぁ、絶対セックスレスなんじゃないの?」というオマケつきで。
「中年女のケツはなぜ図々しいオーラを放っているのか?」といえば、それはもう「そんなのしょうがないでしょ!!!」という開き直りと、羞恥心の無さ、それに尽きるのではないかと思う。「もう、こんなになっちゃって恥ずかしいわ~」という羞恥心があるケツは、まだ可愛げがある。他には「昔はイキのいいケツだったけど今じゃすっかり……」と、「哀愁・郷愁を漂わせたケツ」も、まだ許せる。しかし「子ども産んだんだから仕方ないでしょ!!!」もしくは「だから母親としての勲章なのよ!!!」なんて開き直られたケツは……煮ても焼いても食う気がしないケツとは、こんなケツのことを言うのだろう。こんなケツの女房にならないように、亭主もたまには奥さんを「女扱い」してやったほうが得策である。
とはいえ、雑誌「美STORY」(光文社)に出てくる「美ケツ自慢の美魔女」、彼女たちのケツも別な意味で、ある意味図々しいような気がする。「40いってるけど、でもこのケツよ!!」という、なんだか図々しいをすっ飛び抜けて攻撃的なケツというか。……女はどこにどうころんでも、基本、図々しい生き物である(女には「謙虚」という2文字は存在しないのだろうか?)。
明日から、かかとの手入れ、頑張ります。
郷愁尻はいいですな
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