いまいち分からなかったミス・ユニバースの「美」の意味が分かった!
世界一うらやましくない美女、それがミス・ユニバース。なんででしょうね。「いかにも東洋人」という顔がもてはやされるというシステムが、西洋人の偏った価値基準を感じさせるせいか、審査のときに「ナショナルコスチューム」と称して温泉街の和服コンパニオンみたいな格好をさせられるせいか、いつもたすき姿なせいか、ぶっちゃけ「日本にはもっとほかに美しい人がいるだろ!」とツッコミたくなるせいか、いろいろ理由はあるが、どうしてもミス・ユニバースのありがたみがわからない。スゴいんだろうなとは思うが、それ以上の感覚が沸かないのである。
出版界においては、2007年の森理世の世界大会優勝をきっかけに、ミス・ユニバース・ジャパンのディレクター、イネス・リグロンが『世界一の美女の創りかた』(マガジンハウス)を出版し、イネス以外でも「世界一の美女」を冠した書籍がざっと数えただけでも10冊弱出ている。ミス・ユニバースはなかなかありがたい存在のようだ。その1冊に、12月に出版された板井麻衣子の『私たちが世界一の美女を目指す理由』(幻冬舎)がある。これは、2010ミス・ユニバース・ジャパン板井麻衣子の戦いの記録。応募から厳しいトレーニングを乗り越え、世界大会で敗退するまでを綴っている。
本書のウリは、大分の市役所勤務の普通の女の子が、世界の舞台に立つというシンデレラストーリーだ。締め切り前日に偶然ミス・ユニバース・ジャパンの応募サイトを発見して応募したことについて、「その時の自分のアンテナの感度には、ハナマルをあげたいものです」と自画自賛。最終選考会の前に、メイクなしのスニーカー姿という「ファイナリストとしては有り得ない装いで」街へ出て、「スニーカーでもちょっとだけゴージャスな気持ちで歩いている自分がいる」とシンデレラ具合を再確認。日本代表に決定したあと実家に帰ったら、「家族は、七つ年下の弟を含め、いつも通り、こっちが拍子抜けするくらい普通に『あ、おかえり~』と迎えてくれながらも、私が出来る限りただの”板井麻衣子”に戻れる場所を確保してくれていたように思います」とシンデレラ扱いしない家族に感謝。ま、娘をシンデレラ扱いする家もなかなかないと思うけどね!
この本を読んでわかったことは、「ミス・ユニバースとして大切なものは、自分が”日本一の美女である””世界一を目指す美女である”という自覚なんだなあ~」ということである。誰がなんといおうと「ミス・ユニバースは世界一の美女」という揺るぎない価値観がそこにある。そのファッションはないだろう、とか、そのメイクはどうなのよ、という一般人の価値判断はいらない。そもそも日常レベルの「美女」とは別種のものなのだから、一般人に理解されるわけがない。これは「世界一の美女」というキャラになりきるコスプレ大会のようなもんなのだ。
今、夢とか希望とか目標とかあんまりない持てない世の中じゃないですか。価値観の多様化とか言っちゃって、何がいいんだか悪いんだかよく分からない世の中じゃないですか。そんな中で、本書は清々しいほどの成功譚といえる。価値観とゴールがものすごくはっきりして迷いがない。いいよ、巨大な扇を持った小林幸子みたいなコスチュームだって着ちゃっていい。だってこれが「世界一の美女」なんだもん。本書を読んで分かった。ミス・ユニバースを見て「美女」を論じるのは意味がないってことが。
(亀井百合子)
亀井百合子(かめい・ゆりこ)
1973年、東京都の隣の県生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスライターに。ファッション誌やカルチャー誌のライター、アパレルブランドのコピーライターとして活動中。
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