「女同士の関係は微妙な政治ゲーム」ゲイ界の知の巨匠が描く”どん詰まり”
1991年にゲイであることをカミングアウトした初著作『プライベート・ゲイ・ライフ ポスト恋愛論』(学陽書房→ポット出版『ゲイという経験』に再録)を刊行して以降、ゲイの生きやすい社会作りに大きく貢献してきた伏見憲明氏。03年には初の小説『魔女の息子』(河出書房新社)で第40回文藝賞を受賞し、小説家としての地位も確立している。
それから7年の歳月を経て、今年4月に2作目となる小説『団地の女学生』(集英社)が出版された。マンモス団地で訪問ヘルパーとして働くアラフォーの独身女性・美也が、かつて自分の夢だったミュージシャンとなって成功を収めた幼馴染み・都と再会し、嫉みと羨望に激しく悶える「爪を噛む女」。墓参りに行こうと思い立った84歳の独居老人・瑛子が、同じ団地の棟に住むゲイの中年男性・ミノちゃんをお供に故郷を目指す「団地の女学生」……と、収録されている2篇は「団地」がキーワードになっている。「昭和の遺物」といったイメージが色濃い団地を、敢えて新作の舞台に選んだ理由とは――。
伏見憲明(以下、伏見) もともと僕は幼少期から現在に至るまでの大半の時間を、埼玉のとある団地で過ごしているんです。10年間くらい東京で一人暮らしをしていた時期もあったんですけど、それ以外はずっと同じ団地で生き続けてきた。現在、東京近郊の団地に住んでいるのはお年寄りが多いわけですが、高度成長期の1960年代には、成功を夢見て地方から出てきた若い入居者が大勢いたんですよ。それでめでたく成功できた人は土地付きの一戸建てに移り住み、成功できなかった人は団地での生活を余儀なくされていく。つまり、俗に言う「負け組」の実情が反映されている場所でもあるんです。
――確かに絵に描いたような幸せな家族が、現代の団地に住んでいる様は想像しにくいですね。
伏見 ただ、土地付きの家屋を購入できたとしても、「自分は勝ち組だ」なんて思える人はそうそういない。むしろ、団地を抜け出せた人でも負け組の意識を抱えている人が大半でしょう。自分より恵まれた環境にいる人を目の当たりにしたとき、昔なら「私はこの程度で仕方ない」と分をわきまえて捉えるのが一般的だったのに対し、今は良くも悪くも平等意識が徹底されて「自分だってあの人みたいになれるはずなのに、何が足りないのか」という見方をするようになってきた。そういう減点法の感覚を中心に生きているため、負け組の意識から抜け出せなくなっているんですよ。
――まさに「爪を噛む女」の主人公・美也がその典型ですよね。さらに彼女の場合、38歳という年齢にも焦りや失望を感じているように見受けられます。
伏見 30代後半以降から、だんだん人生に「希望」という名の余白がなくなってくる。その”どん詰まり感”に寄り添って、小説は書いていきたいと思っています。自分と同じようにどん詰まっている人々が寄り合っているからこそ、団地が好き。お気に入りの場所です。
――その団地を出て、ミュージシャンとして成功した幼馴染み・都に対する美也の感情も見どころですよね。妬みながらも、本人を前にすると”有名人と幼馴染みの私”に酔ってしまい、最終的には「あの女の凋落を私こそが見届けなければ」と思い込む。
伏見 そういった人間のいやらしい部分は、女性で描いた方が面白い。男性同士の関係って、「収入の多い方が勝ち」とか「社会的な地位が高い方が偉い」とか、ものすごくわかりやすいじゃないですか。それに対し、女性同士の場合はもう少し複雑で、子どもの頃から「誰と一緒にお弁当を食べるか」とか「誰と一緒にトイレに行くか」とか、関係性や距離感といったものが微妙な政治ゲームとして成り立っている気がするんです。
――美也の”どん詰まり感”は、独身であることも関係している気がしました。ちなみに私もゲイで、おそらく生涯独身であることを考えると、とても他人事には思えなくて……。
伏見 結婚して子どもがいれば、たとえ将来の夢が色褪せてしまっても、子どもに希望を託したりして、それなりに充実した人生が過ごせる。ところが独身女性やゲイの場合は、自分しかかまける対象がないため、年を取って恋愛やセックスが生の中心ではなくなったときに苦しくなってしまうと思うんですよ。ひと昔前の女性には「おばさんになる」という着地点があったけれど、最近はそれも許されない風潮になってしまった。美也もそこで苦しんでいるものの、現実にはどうにもならない……そういう”抜けられない痛さ”を、「爪を噛む女」では描きたかったんです。
(後編につづく)
短編『団地の女学生』と中篇『爪を噛む女』の2篇を収録。埼玉県下のマンモス団地を舞台に、独居老人、ゲイの中年男性、アラフォー独身女性の訪問ヘルパーら、”昭和の遺物”から脱出できずにくすぶっている人々の日常を描いたシニカルコメディ。
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