『家なき子』的昼ドラ出演で浮上した、”永遠の安達祐実”問題
今回ツッコませていただくのは、昼ドラ『娼婦と淑女』(東海テレビ制作/フジテレビ系)において、一人二役を演じている安達祐実。
「帰ってきたドロドロ」と言われる、久しぶりに東海テレビらしい昼ドラだが、内容以前にどうにも気になってしまうのは、もう三十路近く、出産経験もあるのに、アップにしても子どもにしか見えない、安達祐実の異様な若さだ。
ドラマ内では荒れ果てた姿で「死ねよ!」と叫んだり、うれしそうにカネを数えたり、泣きながら「後悔なんてしない、アタイは蛾だ! 生きてくためには何だってやる!」と決意を固めるシーンなどが見られるが、声も顔も、どうしても「同情するなら金をくれ!」のせいぜい数年後くらいに見えてしまう。番組はおろか放送局も違うのに、「犬が死んでしまった後、余計に荒んでしまったのね……」などと、15年以上前のドラマ(『家なき子』)の続編のように見えてしまうのだ。
もちろんそれはある程度、制作側の意図的なものもあるだろうけれど、ご本人的にはおそらく「すずちゃんのその後」のつもりはないだろうから、残念なことではないだろうか。
若すぎる安達祐実を見るたびに余計なお世話ながら考えてしまうのは、「女の童顔はどのように年齢を重ねていけばいいのだろうか」ということだ。
例えば、大竹しのぶは「不思議」オーラと演技力で、なだらかにトシをとっていき、いまや「らくらくホン」が似合うフツウのおばさんになった。YUKIは年齢不詳のまま、現役感を維持している。
また、宮崎あおいや上戸彩は、実年齢が若いこともあるが、童顔・スラッとした長身で、今も十分すぎるほど可愛い。
強いていえば、安達祐実は「小柄・童顔」という系統の中で、永作博美などが近いジャンルになるのかもしれない。しかし永作の場合は、魔性系の役がハマり、童顔と意外な妖艶さが武器になっている。でも、子どもの頃から活躍している「安達祐実ちゃん」の場合、「妖艶」やセクシー路線を演じられると、見る側の心境としては痛々しく、あるいは見てはいけないものを見てしまったような心境になるところがある。
よく「男の童顔は中年以降つらくなる」などというが、男の童顔といえば、藤井フミヤや、海を越えてレオナルド・ディカプリオなど、年相応に見せるためにムリヤリなヒゲを蓄えてみせたりするというのが、1つのパターンだ。そのくせ、シワはできてくるものだから、「童顔+シワ+ヒゲ」といった、ともすれば「落書き?」みたいに見える現象も起こりがちだけれど、それはそれとして、女の童顔の場合、「ヒゲ」みたいな貫録アイテムが、まず見つからない。
ちょっと弱いが、贅肉とともに”貫録と成熟”を身につけるか。あるいは、「変わらないまま」でいるか、歌手の「イルカ」みたいに永遠に普遍的な別世界のものになっていくか。
「ハンバーグ師匠」として、意味不明なキャラを無理やり背負っている元夫・井戸田潤と、ともに行く末が気になる二人である。
(田幸和歌子)
貫録と成熟の鑑はコレ!
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