ゲイカップルを通し、欲望の折り合いを描いた『きのう何食べた?』
――幼いころに夢中になって読んでいた少女まんが。一時期離れてしまったがゆえに、今さら読むべき作品すら分からないまんが難民たちに、女子まんが研究家・小田真琴が”正しき女子まんが道”を指南します!
<今回紹介する女子まんが>
よしながふみ『きのう何食べた?』1~3巻
講談社モーニングKC/各590円
電車の中で人が何を読んでいるのか気になりませんか? いかにもうだつの上がらないサラリーマンが『仕事ができる男のなんちゃらかんちゃら』的なビジネス書を貪り読み、いかにも「わたし頑張ってます!」風の勝間気取りのキャリア系女子は日本経済新聞(もしくは「AERA」)を誇らしげに読み、そうした「いかにも」な光景を目にする度に、私は得も言われぬ充足感に満たされるのであります。
ところがある秋の日、あれはもう22時頃だったでしょうか、私の向かいに座っていた、おそらく30代前半の会社員風女子がクロエのバッグからおもむろに取り出したのは、よしながふみ先生の『きのう何食べた?』2巻。まんが雑誌を読む男子はよく見かけますが、単行本を読む人はなかなかいません。それが女子ともなればなおさら。この作品が「モーニング」(講談社)というメジャー誌で連載され、なおかつ電車の中で妙齢の女性が普通に手に取るほどの人気を博していることを、素直に喜ばしく思います。
今さら紹介するまでもないほどの人気作『きのう何食べた?』は、ホモ・セクシュアルの弁護士・筧史朗43歳が、ハードな日々を送りながらも、必ず定時には退社して、閉店間際のスーパーマーケットで特売品を買い漁り、パートナーである美容師・矢吹賢二のために夕食を作る「だけ」のまんがです。「だけ」と言ってしまってはかなり語弊がありますが、本作の魅力はまず第一に、おいしそうな料理描写と実用的なレシピ(実際かなり使えます)にあることは異論がないでしょう。
しかしその奥にある本作のテーマは、人間の欲望とその折り合いのつけ方です。中でも食欲と性欲。性欲において、筧は決して自らのセクシュアリティを恥じてはいませんが、それでも職場では余計な厄介ごとを避けてその事実は伏せ、また両親との関係はぎくしゃくしがちです。3巻では筧の性的嗜好を知った母親が一時期、新興宗教にのめり込み、かなりの額の貯蓄を使い込んでしまった過去に焦点が当てられました。相手が生身の人間であったり、社会という曖昧模糊とした存在であったりすると、すべてが筧の希望通りには進んでくれません。
ところが食欲において、筧が配慮すべきは経済性のみなのです。それなりの収入があるはずの筧ですが、「子供に面倒見てもらうなんて未来の無いゲイが頼りにできるのは金だけだろうが」という至極堅実な経済性の持ち主で、だからこそ家賃もそう高くはないマンションに住み、食材は特売品狙い。そして食費という唯一の障壁をクリアして、生き生きと、手際よく、最大限においしい料理を作ろうとする筧のモノローグは、ひたすら料理そのものへと向かうのでした。その絶対的な静寂と、そこはかとなく漂う幸福感たるや。
つまり料理という局面は、ホモ・セクシュアルである筧にとって数少ない(もしかしたら唯一の)「正しい」場所なのです。両親への気遣いも、社会への配慮も一切必要がなく、自らの経済力の中で正当に入手した食材を使って、自分と愛する者の欲望を満たせることの幸せ。それを非難する者はおそらくなく、そして厄介ごとも発生のしようがありません。「多い方と少ない方の 少ない方の人間でも 自分の生きる世界を 好きになろうとしている」という言葉は、よしなが先生の名作『愛すべき娘たち』(白泉社)の中の一篇のセリフですが、料理をする筧にはまさにそれが当てはまります。
欲望が潜在的に持つ悲しさが一方にはあり、そしてもう一方には快楽が配置されるという、この作品の底知れぬ奥行き。食卓というミクロの舞台によしなが先生が描き出すのは、「生きることの困難と喜び」です。料理において苦みや酸味は時に甘みを引き立たせますが、それはまんがも同じ。よしなが先生が施した「隠し味」を、どうかじっくり味わってみてください。
小田真琴(おだ・まこと)
1977年生まれ。少女マンガ(特に『ガラスの仮面』)をこよなく愛する32歳。自宅の6畳間にはIKEAで購入した本棚14棹が所狭しと並び、その8割が少女マンガで埋め尽くされている(しかも作家名50音順に並べられている)。もっとも敬愛するマンガ家はくらもちふさこ先生。
料理コンプレックスの女子にもおススメです。
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