カルチャー
[連載]まんが難民に捧ぐ、「女子まんが学入門」第3回

『ハッピー・マニア』の2つの魔法~スポ根としての女子まんが序論(3)~

2009/12/17 17:40
『ハッピー・マニア』(祥伝社)

――幼いころに夢中になって読んでいた少女まんが。一時期離れてしまったがゆえに、今さら読むべき作品すら分からないまんが難民たちに、女子まんが研究家・小田真琴が”正しき女子まんが道”を指南します!

 旧来のスポ根が持つ全体主義的な快感は、だがしかし物語の強力な推進力ともなります。甲子園優勝、ワールドカップ優勝…といった確固たる目的は物語の道筋を示すものであり、逆説的な言い回しではありますが、そこに読者は「安心してハラハラドキドキできる」わけです。そんな「甲子園優勝」「ワールドカップ優勝」といった「大いなる目的」を、「彼氏が欲しい!」に置き換えると安野モヨコ先生の主要作品『ハッピー・マニア』になります。

 安野先生は、岡崎京子先生の系譜に属する作家です。さらに遡れば岡崎先生は大島弓子先生の系譜に属する作家であり、2人の共通点は「性愛」を含む広い範囲での愛を、時代に沿って描き続けてきたことです。当時の騒がれぶりを残念ながら私は知りませんが、かつて大島先生の『誕生!』(1971年)という作品が、女子高生の妊娠をテーマとしたことで一大センセーションを巻き起こしました。キスシーンを描くだけで一大事だった、古き良き時代のお話です。

 それから10数年後、「女の子のエッチマンガ家」という珍妙なキャッチコピーで台頭してきたのが岡崎先生です。あらゆる欲望が等価に置かれたバブルの時代、岡崎先生は女子の欲望を執拗に、そして丹念に描き続けました。’80年代後半から’90年代中盤にかけて彼女ほど強烈な影響を与えたまんが家もおりません。雨後の筍のようにフォロアーが続出し、その果てに「FEEL YOUNG」(祥伝社)というまんが誌すら成立します。そこに描かれるのは恋に、そして性に絶望したかつての少女たち=女子たちの姿でした。

 少女まんがの大テーマは、紛うことなく「恋」です。恋がなければ少女まんがでないとすら言えます。そして物語はたいていがハッピーエンドで、ごく稀にサッドエンドで終わります(ここで言うハッピーエンドとはすなわち「両思い」もしくは「結婚」、サッドエンドは「失恋」もしくは「死別」を指します)。ところが少女たちも経験を重ねるうち、必ずしも「ハッピーエンド」がハッピーでないことに気づきます。「いつか王子様が」では済まされない、その先にあるもの。当時の「FEEL YOUNG」がテーマとするところはまさにそこでした。恋が実った後の、その果てにある希望、あるいは絶望。

 「FEEL YOUNG」系の作家は一大ムーブメントとなり、一時期は女性向けまんがの主流ともなりました。その中にあって最大の功労者、岡崎先生は『リバーズ・エッジ』(宝島社)を経て『へルター・スケルター』(祥伝社)へと至り、もはやカテゴリーを超えた、まんが界を代表する存在となりました。しかし1996年の突然のあの事故……。

 先導者を失った「FEEL YOUNG」系は迷走し、自家撞着と無限ループを始めます。絶望した挙げ句、漂うのは倦怠感、虚無感、閉塞感ばかり。結果、「ここ10年よく見る…『彼氏も友達もいるのになんとなく満たされない若者系アンニュイ漫画in都会』」((c)東村アキコ)が再生産され続けることになります。

■絶望の中に恋という名の光を射した、『ハッピー・マニア』

 そんな状況に「でも、それだけで楽しいの?」と問うたのが安野モヨコ先生でありました。アンニュイに浸っておしゃれぶるのも自由だけれど、そもそも恋は単純に楽しいものだろう、と。後々のことを考えすぎて予め絶望するのは違うんじゃないか、と。時代のベクトルとは逆に、その初期衝動の快感を描いたのが、『ハッピー・マニア』(祥伝社)です。

 さらに安野先生は『ハッピー・マニア』にひと仕掛け施します。それが「恋愛のスポ根化」でありました。恋愛へ、まるでスポーツのように猪突猛進するシゲカヨと、さながら名コーチの風情すら漂うフクちゃん。打倒すべき敵は「彼氏がいない」という「不幸な状況」で、彼氏がいること=幸せになることこそが最終的な勝利!(その際に「男」は敵でも目的でもなく手段に過ぎない、というのがミソです)

 私の手元にあるフィールコミックス版第1巻の帯で、奇しくも桜沢エリカ先生がおっしゃっています。「重田カヨコの格闘技のような恋愛。今まさに私が読みたかったこういうまんがです」と。正しくは「読みたかった」の後に「のは」が入るような気もしますが、桜沢先生の言わんとすることはよく分かります。おそらく当事者の1人であった桜沢先生も、その状況に飽き飽きしていたのではないでしょうか。「スポ根」というエンジンを得た『ハッピー・マニア』は、まんが本来が持つエンタテインメント性と、物語のダイナミズムを取り戻し、後にドラマ化されるほどの人気を博しました。

 しかしこれは危険な賭けでもあります。なぜなら「大いなる目的」を持つスポ根は、往々にして思考停止を伴うものであるからです。なぜ勝ちたいのか? なぜ上手くなりたいのか? そしてなぜ幸せになりたいのか?……その点も安野先生は抜かりありません。『ハッピー・マニア』にはもうひとつ、「笑い」という魔法が仕掛けられているからです。ギャグまんが不毛の地であった女性向けまんが界にあって、安野先生のギャグセンスは圧倒的でありました。笑いによって『ハッピー・マニア』というスポ根は「スポ根のパロディ」ともなり、読者に客観的な視点を提供する上質なエンタテインメント作品にまで昇華されたのです。

 ここに、安易なセンチメンタリズムに陥ることなく、虚無感に身を委ねて雰囲気に流されるのことなく、普遍的なエンタテインメントを志向する「女子まんが」という新たなジャンルが成立したのです。そこに描かれるのは、絶望してもなお、その先にあるはずの希望を求めて止まない、情熱あふれる女性たちの姿でありました。

 思い出していただきたいのは、『スラムダンク』(集英社)にも高度な笑いがあったという事実です。そしてスポ根という物語の様式。この2つがセットになったとき、まんがは性差を超えます。たとえば「モーニング」(講談社)の連載陣に岡野玲子先生、惣領冬実先生、よしながふみ先生、山下和美先生、東村アキコ先生、そして安野先生らが名を連ねるような今日のまんが的状況は、『スラムダンク』に代表されるような男子まんがからの女子への歩み寄りと、『ハッピー・マニア』に代表されるような男子への歩み寄りが同時に為された結果形作られた、とても幸せな状況であるのです。

『ハッピー・マニア 1』

恋愛中毒になる活力すら、ない。


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最終更新:2014/04/01 11:40
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