宮沢りえの結婚は女の幸せ? 時代を反映した半生を振り返る
女優の宮沢りえが妊娠、結婚を発表した。筆者は彼女と同じ73年生まれである。デビューから恋愛、母子の葛藤もろもろに関するワイドショーの実況中継を見ながら育ってきたので、なんとなく友だちの友だちの友だちが結婚したような、そんな気持ちになった。
りえが”リハウスガール”として注目を集め出した80年代後半は、まだ中学生。バブルの恩恵を肌で感じた記憶はないが、なんとなく「未来は明るい」という根拠のない希望はあった。テレビの中のりえもまた、天真爛漫な笑顔をふりまいていた。
写真集『サンタ・フェ』(朝日出版社)が発売されたのは91年。新聞にヌードの全面広告が載ったことに衝撃を受け、「時代はもっとおもしろくなる」と確信した。翌年、りえは、角界のアイドルだった貴花田(現在の貴乃花親方)と婚約を発表した。未来はまだ明るく見えた。
雲行きがあやしくなったのは、93年。りえと貴花田は婚約を解消した。発光するように美しかったりえは、見る間にしぼんだ花のようになっていった。激ヤセしたゴルフ姿の映像が流れたのは95年。時代は閉塞的な空気を漂わせ、希望は消え失せていった。
そうこうしているうちに、りえと同学年の後藤久美子が結婚、出産した。りえもそのうち結婚するだろうと思われた。それが”フツー”の生き方だと漠然と感じていた。「就職難」「女子学生はさらに厳しい」なんて言われていた時代である。
その後、ゴクミは3人の子を産んだ。りえは何人かの相手と浮き名を流したが、結婚には至らなかった。30代に入るころには、映画や舞台で高い評価を得、演技派女優として認知された。りえ的生き方とゴクミ的生き方。対照的な生き方ではあるが、どちらにも憧れる部分があった。望んでか望まずか、りえ的生き方を選ぶ女性も増えた。
そして09年、35歳のできちゃった結婚。ワイドショーや週刊誌の中には”ようやく女の幸せをつかんだ”と伝えるものが少なくない。”女の幸せ”とは、なんとも古くさい言い回しである。女性の生き方は、彼女がデビューしてからこの20数年で大きく変わったはずなのに。まがりなりにも”役者としての幸せ”は勝ち取った女優だというのに。結局、仕事で成功したところで、りえも”女の幸せを逃したかわいそうな女”と見られていたことがよくわかる。世間はそんなものだ。
「CREA」(文藝春秋)1992年12月号で、りえは中村勘九郎(現在は勘三郎)と対談し、30年後について「女優をやっているか、主婦になっているかわかりませんけど……」と語った。貴花田との婚約が明らかになった直後の対談だったが、「おかみさんになっている」とは断言しなかった。その2年後、勘九郎と噂になった。
あのころの「30年後」まで、あと14年。世間の言う”女の幸せ”を手に入れた今のりえは、49歳になったとき、どうなっていると語るだろうか。よくも悪くも一寸先は闇。それは誰しも同じことだ。苦難を乗り越え、自ら道を切り開いてきたりえの生き方を心に刻み、自分の14年後を思った。あなたは、どうですか。
(亀井百合子)
亀井百合子(かめい・ゆりこ)
1973年、東京都の隣の県生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスライターに。ファッション誌やカルチャー誌のライター、アパレルブランドのコピーライターとして活動中。
異色作でも演技が光ってます
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