サイゾーウーマンカルチャー女性誌レビュー「婦人公論」では男女の友情は成り立たず カルチャー [女性誌速攻レビュー]「婦人公論」10月7日号 友情特集のはずが、どうしても男女のいざこざに着地する「婦人公論」 2014/10/05 19:00 女性誌速攻レビュー婦人公論 「婦人公論」(中央公論新社)10月7日号 先日タレントの中川翔子が、Twitterで捨て猫のもらい手が見つからず仕方なく保健所に連れて行くという旨のツイートをした一般人のアカウントに対し、「保健所に連れて行くな」と非公式リツイート。そのことが原因でツイート主はアカウントを削除、中川にも「一般人を晒すなんて」と非難が殺到しました。「動物を飼う」ということがどういうことなのかが問われる中、今号の「婦人公論」には、青森県立三本木農業高校卒業生による手記「殺処分された犬と猫を『いのちの花』に変えて」という記事があります。 この「いのちの花」プロジェクトとは、殺処分された犬や猫の骨を土に混ぜて肥料にし、マリーゴールドやサルビアの種をまいて育て、その花を「いのちの花」としてイベントなどで配布すること。「殺処分の現状を多くに人に知ってもらいたい」という思いから高校生たちが自主的に始めた運動です。里親が見つからず殺処分された動物たちの骨が事業系廃棄物として扱われていることにショックを受けた高校生たちが、「骨が肥料になる」ことを知り、このプロジェクトを発案したそう。しかし多くの困難が高校生たちを待ち受けます。最もつらかったことは肥料にするために「骨を砕くという作業」で、「殺処分された動物たちをさらに傷つけてしまうようで(中略)ゴミにされていたことを知らなくて申し訳なく思う気持ち、身勝手な理由でペットを捨てる飼い主への怒り、さまざまな思いが湧きあがり、作業の間、誰も口をきくことができませんでした」。 「動物も人間の命も、その重さに変わりはない」というのは、手記をつづった卒業生の言葉。インターネットで侃々諤々と議論が繰り広げられる一方で、こうして命を“経験”している若者がいるということに希望を覚える記事でした。 <トピックス> ◎殺処分された犬と猫を「いのちの花」に変えて ◎特集 人生後半を支えあう、女友達、男友達 ◎もたれ合いじゃ続かない。でも、困っていたらそばに行くよ ■「仲良し」は「友達」にあらず さて、今号の特集は「人生後半を支えあう、女友達、男友達」です。ただの「友達」ではなく、「人生後半を支えあう」というところに、「婦人公論」の重みを感じずにはいられません。リードには「自分の生き方も定まってきた今こそ、若い頃とはまた違う友達の良さを実感できるとき」とあります。振り返ってみると、幼少期の友達、10代・20代・30代の友達……ずっと続いている友達もいれば、ワンシーズンで去っていく友達もいて、それぞれの状態や環境で求めている「友達関係」の質も変わってきた気がします。夫はうっとうしい、親族はめんどくさい、ご近所はわずらわしいという「婦人公論」読者たちが、人生後半を共に過ごそうと考える「友達」とは一体どんな人なのでしょうか。 おなじみの特集対談は、ノンフィクション作家の吉永みち子とプロデューサーの残間里江子による「もたれ合いじゃ続かない。でも、困っていたらそばに行くよ」。誕生日は数日違いで同じ年、普段から仲がいい2人が「中年友達論」を展開させています。「特定の仕事関係の人とは親しくしすぎてはいけない、と自分に課している」残間と、「小さい頃から他人なら誰でも好き」な吉永。真逆な2人は「ベタベタした付き合いではなく、下手したら1年くらい会わないこともある」(吉永)という絶妙な距離を保ちながらも、「時間や事件を共有しながら、いつも同じ距離感のところにいる」(残間)。これぞまさに「中年友達」の極意なのでしょう。 123次のページ Amazon 婦人公論 2014年 10/7号 [雑誌] 関連記事 「消えろ! あんたの役目は終わった!」、定年夫を持つ「婦人公論」妻たちの本音「婦人公論」で青田典子が教えてくれた、「心は支えてもカネは支えない」夫婦のあり方加齢への肯定を「品」に置き換えたことで戦場と化した、「婦人公論」の大誤算捨てられない奇病と捨てすぎる恐怖、極端すぎる「婦人公論」の大掃除特集子が自立しないのか親が手放さないのか、「婦人公論」にみる親子問題